2008-12-09

今更だけど殺人予告逮捕された元東大生のblogをちょろっと読んだ。

彼なりの論理が、別に破綻しているとはとくに思えない。

ただ、彼は学問というか、知識を得ようとし始めたのが遅かったのかなあというのが感じたところであって

語り口から自身へのコンプレックスが溢れているように見えた。

敷かれたレールという陳腐な表現の人生に満足できない、秀才というか、学問をするために勉強してきたのではない人間は、多かれ少なかれ、現実承認できない

院に進むということに限らず、全てを学問と見なせる人間と、手段として勉強(学問ではなく)をしてきた人間の間には、上流というか貴族的というか優雅な雰囲気と、あくまで実務者である者の間にある高い壁が聳えているようにみえる。

物事を認識する能力の大小が、研究と実務という二つの生き方を分かつのだろう(この辺いい言い方が見当たらない)。

認識する能力とは、よく言われるコミュニケーション等も含めてのことというか。想像力?

認識する力が弱いと自覚してしまうと、コンプレックスから逃れられない

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