2008-02-12

イヌ餓死

ある芸術家餓死寸前のイヌを展示して「イヌ餓死」という芸術発表した。やせ細ったそのイヌは、薄暗い部屋に置かれた太い鉄格子の折の中で、もちろん餌も与えられずただ放置されていた。イヌはときおり頭をもたげては、虚空を虚ろな目で見上げたりもしていたが、体を起こすだけの力もないらしく、またぐったりと横になってしまうのだった。

芸術家は、これはまだ最初の布石に過ぎず、私が表現しようとする芸術の準備段階だと宣言した。「イヌ餓死」だけでも非人道的なのに、それが準備段階に過ぎないと宣言したことで、様々な人から非難が集中した。ネットでは芸術家ブログ炎上し、自宅には反対するグループ押し寄せ、それらをマスコミが取り上げ更に盛り上がり、収拾がつかない程に社会問題化した。

しかしそれだけの騒ぎになっても、芸術家は展示を取りやめ様とはせず、コメント発表しなかった。その間も、イヌ餓死することなく、あいかわらず衆人の目の中で生き長らえていた。

芸術家沈黙する中で、憶測と中傷だけが勢いを増していった。そんな折に、事態が一転した。とある過激な動物保護団体の者たちが、高い塀で囲まれた芸術家の家に、自家製の火炎瓶を投げ込んで放火したのだ。古い木造の家はあっという間に燃え上がり、家で寝ていた芸術家は逃げる間もなく焼け死んでしまった。

芸術家の死により、「イヌ餓死」の展示は中止となり、死にかけていた檻の中のイヌは無事に保護された・・・かと思われた。しかしイヌを助けようとした人々は、その折を開けてみて驚いた。そこにいたのはイヌではなかった。精巧に作られたイヌオブジェだったのだ。簡単な機械仕掛けで、ときおり首を持ち上げるような動きをする。たったそれだけのものだった。

そこへ美術館の館長がやってきた。これだけの騒ぎになりながらも「イヌ餓死」の展示を取りやめず、芸術家と共に非難を浴びていた人物だ。その館長が、持って来た封筒から手紙を取り出して皆の方へ見せた。それは死んだ芸術家の手記だった。手記にはこう書かれていた。

「この展示には3つの目的があります。1つ目は、私が作ったイヌオブジェがどれだけ人に『本物のイヌ』として見えるかを確かめること。作品を見た人に本物だと思ってもらえること。これこそが今の私にとって、芸術家としての望みです。2つ目は、動物に対する愛情を再確認して欲しいといこと。このみすぼらしいイヌを見て、人々はかわいそう、と思ってくれるでしょう。そして動物への虐待や安易なペット化を再考してくれることを願います。3つ目は、人の強さを確かめること。もしこのイヌを本物だと思ってくれる人がいるなら、きっとこのイヌを檻から解放してくれることでしょう。そういう強い人間が出てきてくれることを私は期待します」

そして手記の最後にこう書かれていた。

「私と共にある32匹のイヌのために」

勝手インスパイアされて書いちゃった)

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