「人間は理性を捨てなければ、感情をもてない」という認識を持っているのならば、その理屈であっていると思います。
それはさておき、おそらく問題になっているのは、増田の書いた
「理性を失うのが人間らしくて偉い」
という、文中にない意見をひねり出している点にあると思います。
なるほどなるほど。
元増田さんが答えてない状況でこちらに答えるのが適切かどうかは分かりませんが、もし元増田さんの意見がそういうことだとすればお答えできると思います。
私は、元増田さんの「怒りを論理的に説明するって時点で何かが間違っている。」という意見自体に異論があるわけです。元増田さんは「怒りを論理的に説明」しようとする人を「論理だけで愛をはぐくむつもり」の「アホ」と口を極めて罵っておられるわけですが、私は「怒りを論理的に説明」しようとしている人が感情を失っているとは全く思わないのですね。それは単に「感情と論理を統御しよう」としているだけであって、それこそ私の言う意味できわめて「人間的」な振る舞いだと考えています。それを「論理だけの人間」と否定しさるということは、そもそも「理性と感情が排他的である」と元増田さんが考えているためだと推測しました。
そこで私は「元増田さんの理屈をそのままオウム返し」して、そのおかしさを指摘しようとしたワケです。つまり私が前半で「元増田こそ犬とでも恋愛してろ!」でなく「元増田は、犬とでも…と言われちゃいますよ」という書き方をしたのは、そういう皮肉なのです。
というわけで、私の意見の本題はその後半にあるわけであり、
感情は犬にもあるので、感情「こそ」が人間だ、という主張は私はおかしいと思うのですが、この部分もご説明いただければ助かります。
ここでは機械との対比においての話であるので、間違っているとは思いません。
これも、上で述べたような、元増田さんの「論理/感情は排他的である」とする考えの根底を踏まえ、「その上で感情『こそ』が、と仰っておられるなら」という批判とお読みいただければ、よく理解していただけるのではないかと思います。元増田さんがもし「まあ論理も大切だけどね…」と考えてるなら、上の私の批判は大変おかしいことになる(そして、レスをくださったあなたは多分そう考えておられて、従って私の批判がおかしく見えている可能性がある)ということは分かりますが、もし今更元増田さんがそう仰るなら、私は元増田さんの元エントリ自体が無価値になるのではないかと思います。
推測にもとづいて批判し、また、その推測の根拠を明示せず、理性を擁護するような書き方をしているのが問題でしたね。 そもそも「理性と感情が排他的である」と元増田さんが考え...
そういうことじゃないでしょう。 元増田さんの意見は 「感情論に対して非理性的な反論は意味がない。有効な批判をしたいのなら論理的にすべき。」 という意見だと思いますが。 ...
前者だとすると、むしろ主張の内容が真逆に思えますし、後者に対してなら、私は私が「論理的にというなら、どうぞそちらも論理的に」と切り返したことはそれほど不当なのでしょう...
仰っていることは、これまで私が理解した増田さんの主張と同じだと思います。よく分かります。 (1)「感情こそが人間」(元増田) (2)「犬とでも…」(私) (3)「お前は論...
2つ、確認です。 まず根本的に勘違いをしているかもしれない点を指摘しておきます。 (1)「感情こそが人間」(元増田) (2)「犬とでも…」(私) (3)「お前は論理的じ...