仰っていることは、これまで私が理解した増田さんの主張と同じだと思います。よく分かります。
(2)「犬とでも…」(私)
…という流れの中で、私が元増田さんに(4)で論理性を求めたのは「不当ではないけれども、不毛」だ、と。
その上で
まず「理性を失うのが人間らしくて偉いなら」という前提が不適切です。
「理性を失うのが人間らしくて偉い」という文章が、言及増田の中にないのでこれを前提に置くまでの段階に無理か飛躍があります。
とありますが、元増田の記事の要約が上記で「不適切だ」と言える根拠は、ここまでの話の流れのどこで示されたでしょうか。「不適切である」と主張されたのは、元増田さんの(3)の1回、そして増田さんから(今回含め)2回だと思いますが、「論理の筋道が明示されていない」ことと「論理的でない」ことはイコールではないですよね。特にその「筋道」がごくごく「自明」のことに属するとすれば(あくまで仮の話として)。
この点について、既に私は増田さんに対して以下のように述べています(これを仮に(5)とします)。
私は、元増田さんの「怒りを論理的に説明するって時点で何かが間違っている。」という意見自体に異論があるわけです。元増田さんは「怒りを論理的に説明」しようとする人を「論理だけで愛をはぐくむつもり」の「アホ」と口を極めて罵っておられるわけですが、私は「怒りを論理的に説明」しようとしている人が感情を失っているとは全く思わないのですね。それは単に「感情と論理を統御しよう」としているだけであって、それこそ私の言う意味できわめて「人間的」な振る舞いだと考えています。それを「論理だけの人間」と否定しさるということは、そもそも「理性と感情が排他的である」と元増田さんが考えているためだと推測しました。
これが「理性/感情が排他的だと元増田が考えていると判断した根拠」です。これが正しいのなら、そこからのつながりで述べられている「感情こそが人間だ(そして人間(優)>機械(劣)」という元増田の主張を「論理を失った方が偉いとでも言うのか」とまとめた私のまとめは、別に不当なものではなかったということになります。基本的に私はこれを「文面から普通に読み取れる自明の内容」であると見なしていました。正直なところ、今でも元増田が上記のように考えているのは自明だと思っていますが、増田さんの〈そこは自明でないと思う〉というご主旨のお話には大変興味が惹かれています。私が増田さんにご説明いただければと希望しているのは…そして、双方で一番食い違っているのは、その一番最初の前提ではありませんか。
まとめます。
「犬」云々の話に、自明の論理性が「ないとすれば」、確かに私の(2)は論理性を欠いていることになり、そちらの仰ることは正しい。
ですが、
「犬」云々の話に、自明の論理性が「あるとすれば」、(3)の批判は不当であり、(1)に対する反論でなく(3)に対する反論として私が(4)を持ち出したことはむしろ当然と言わなくてはなりません。
従って問題は(1)の「読み」に関して、増田さんが「自明」と感じておられる部分の説明、具体的には(5)の内容に対する反論ではないかと思われます。
追記:
そろそろ話のゴールが見えてきた気がします。これまで増田さんとは、きちんと筋道を追って話を進めてくることができたと思っています(私だけがそう思っているのではないことを祈りますが…)。できれば、このまま「きちんと筋道を追った話で決着をつけるとはどういうことか」の見本を残すことができれば私は大変満足なのですが、それにつき、二点提案があります。
話の流れ次第では、このあとの増田さんの話に私が一定の説得力を覚えれば私がシャッポを脱ぐことになりそうですが、それにつき
・集結宣言はきちんと出す(逃走しない)
こと。少なくとも自分についてはそのつもりをしているのですが、公の場で確約するのも良いのではないかと思っています。増田で逃走したって何の問題も無いわけですけどね。次に
・最後に双方で話を三行にまとめる。
です。一つの提案ですが、決着のついた段階でなら、ここまでスッキリさせるのも面白いんじゃないかと思います。もしよろしければ、提案に対してのお返事もいただけると嬉しいです。では。
「理性を失って感情的に怒鳴り合え」という意見とどう違うのか、説明していただければ助かります。 「人間は理性を捨てなければ、感情をもてない」という認識を持っているのな...
仰っていることは、これまで私が理解した増田さんの主張と同じだと思います。よく分かります。 (1)「感情こそが人間」(元増田) (2)「犬とでも…」(私) (3)「お前は論...
2つ、確認です。 まず根本的に勘違いをしているかもしれない点を指摘しておきます。 (1)「感情こそが人間」(元増田) (2)「犬とでも…」(私) (3)「お前は論理的じ...
推測にもとづいて批判し、また、その推測の根拠を明示せず、理性を擁護するような書き方をしているのが問題でしたね。 そもそも「理性と感情が排他的である」と元増田さんが考え...
そういうことじゃないでしょう。 元増田さんの意見は 「感情論に対して非理性的な反論は意味がない。有効な批判をしたいのなら論理的にすべき。」 という意見だと思いますが。 ...
前者だとすると、むしろ主張の内容が真逆に思えますし、後者に対してなら、私は私が「論理的にというなら、どうぞそちらも論理的に」と切り返したことはそれほど不当なのでしょう...