という論調をよく見かける。
「親からあれこれこういう目にあわされて、俺私はこんな風になった」と言っている人間に対し、
「お前もう○歳なんだろ?ならもうそれは、お前の責任なんだ。親のせいにするな」(これは20歳とは限らない、高校生くらいの場合もある)
と言う論調である。
でも、果たして本当にそうなのか?
確かに、法律的な、そういったある種の便宜的な意味ではそうならざるを得ないのかもしれない。要するに「だってそんな、いつまでも際限なく親のせいなんていってたらキリがないじゃん。その親を育てたのも親だしさ。だから20歳からは自己責任ってことで」という意味あいである。
あるいはまた別の便宜的な意味として「親にもう拘るな。親を恨んでも仕方が無い。そんなことは忘れて、もう自分で変えるしかないんだ」という、責任云々というよりも、当人のために敢えてそういういいかたをする、というのもまた有り得る。
確かにこの二つはそれなりに正しいように思える。実際正しいのかもしれない。でも、これは、「んで結局、親の責任なのか否か?」に対して、真正面から答えてはいない。現実的に進む為の便宜的な答えというだけであり、真正面から答えてはいない。有る意味では逃げている。
では真正面から答えるとどうなるか?
それは、個人的には、「やはり、依然として親のせいである」と思うのである。
20歳を過ぎたらも何もない。本当にそれは親のせいか?という問題はまた別の問題だが、20歳を過ぎる前であれば親のせいであると認定されるようなものであれば、やはり、依然として20歳を過ぎたところで親の責任である。
というより、年をとったから責任が突然解除される、という方が不自然で意味不明である。根拠も無い。
19歳までは親の責任だがその一年で自己を変えられないまま20歳に突入すれば「自己責任」になるというのだろうか?なんだか滅茶苦茶な話だ。
例えば幼い頃虐待にあい、そのせいで性格が歪んだというなら20歳になろうがそれは親の責任である。
20歳過ぎたら、自己責任だという人は、おそらく大体の人は上のように真正面から答えるのではなく、当人のためにと答えをわざとズラしているのであろうが、それはある種危険な行為でもある。その「想い」(本当に「親の責任でなくお前だ」と主張したいのではなく、当人がこれからの人生を歩んでいけるようにいう想い。優しい人が自殺するのを止めるのに、「周りが迷惑する」と敢えて言うことで止めようとする手法と同じように)が、伝わればいいが、果たして本当に伝わるのかどうか。今も言ったが、優しい自殺者に対して「死んだら皆が泣くんだぞ。お前がどうこうじゃなくて、皆に迷惑だ。だから死ぬな」と言うのも、本当に「俺らが迷惑だからやめろ」と言ってるのではなく、とにかく「優しいあいつを引き止めるにはどうすればいいか」という問いから導き出された答えなのであろうが、しかしその「本当の想い」が、そんな錯乱中の当人に果たして伝わるのか否か。自殺者や、親のせいで人生狂ったと嘆く人間に、そんな想いを汲み取ってもらえるだろうか?
そしてそれが汲み取ってもらえない場合、寧ろそういった種の呼びかけは最悪のケースを呼ぶことになりかねない。
そういった心に余裕が無い人間は、それを「そのまま」受け取り、例えば自殺者ならば「俺は死んでさえも迷惑なのか。俺は死ぬことすらできないのか?俺はどうすればいいんだ?」と尚更錯乱するだけであろう。親のせいで人生狂ったと嘆く人間ならば、「じゃあ私が悪いのか?私は何もしていないのに」と益々自己を責め苦悩するばかりであろう。その言葉をかけた人たちは、おそらくは優しさゆえに、当人を救ってやろうというつもりゆえにその種の言葉を吐いているというところが皮肉で切ない。もう正常でない彼らは、優しさゆえに気持ちを汲み取るなんて事はできず、優しさゆえに自己を責めるほうへと進むだけである。お互い優しさが空回りし最悪の結果を呼びかねない。それは皮肉で悲しすぎる出来事だ。
そんな伝わるかどうか分からない事を、ある種正常でない者に伝わってくれと期待してはいけない。相手にはそのまま伝わると考えるべし。そう考えたら、とてもじゃないが自殺者に対し「お前が死ぬと皆その後始末で迷惑だからやめろ」なんて事は言えないだろう。苦悩している人間に、「親のせいじゃなくてお前の責任だ」などと安易に言えないだろう。優しさのつもりなら、それは大間違いだから、今すぐ止めた方がいい。(優しさじゃなくもともと傷つけようとして言っているよという人は論外である)
それよりも、変に当人の為にとか考えるよりも、そのままズバリ質問に答えてしまえばいいのである。
「俺の責任なのか?」
「いや、依然として、親の責任です」と。
20歳超えようが超えまいが親側の責任が消える訳もない。そんな甘いものではない。
虐待しておいて、20過ぎたからチャラね、なんて、いくわけもないのである。過ぎようが過ぎまいが、依然として責任は付き纏っている。「20過ぎたら自己責任だ」と言っている人間は、何よりも、「その親たちの責任をチャラにしてしまっている」事に気付くべきである。
親の責任だ。親のせいだ。それでいいじゃないか?無理に自分の責任にする必要などない。
動くのはそこからである。親のせいだけど、でもどうしようもねえから俺が今から何とかするしかない。あいつらのせいで私はこんなねじくれた性格になったけど、それが嫌だから、治そう。それでいいのである。無理に、「俺・私の責任だから、自分でなんとかしなくちゃ」じゃなくていい。理不尽に振ってきた親からのある種の暴力だ、でもこの親たちはそれを変えられないから、自分は変わりたいから、じゃあ自分で変わるっきゃない。それでいいのである。
無理に自分の責任にしたところで、前に動けるどころか、その責任の重圧に押しつぶされ動けなくなるだけである。
空き巣に入られたのを、「防犯カメラをつけていなかった自分のせいだ」と責め続けるより、「空き巣の野郎。許せん。しかしとりあえず警察に届け、当面の金をなんとかして、部屋を片付けなければ」と動いた方がよいのである。
極論を言えば、恨んで済むならいくらでも他人を恨めばよいのだと俺は思う。ただし犯罪行為はしちゃいけない。自分の心の平穏の為恨むだけなら寧ろ恨んでしまえばよいのである。それはもしかしたら見当違いの恨みもあるかもしれないがこの際それでもいい。なんでもかんでも「自分が悪いんだ」「私のせいだ」そう思いこんだり他人からやたらと「お前にだって非がある」「お前のせいなんじゃないのか」と言われるのはもう端から見ているのもごめんである。そんな事して何になるというのだろうか。そんなものは犯罪行為を行っておきながらしらばっくれる人間に対してだけで十分である。空き巣に入られた人間にいちいち「鍵を閉めなかったお前が悪い」とか言うのもうんざりだ。空き巣が悪い!親が悪い!依然として、どこまでも。でも、そこからどう前へ進むかは、また別の話なのである。それだけの話なのである。
「責任」という言葉に、「要因」と「それに対する負担」の二つの要素を混ぜ込んでしまった、日本語の問題よね。 「20歳を過ぎたら、もうそれはお前の責任なんだ」 という言葉は、2...
そんな長文でも論理構成しっかりともしてなかったけどそれに近いことをこの間主張してみてそこからよくわからない議論になった。 http://anond.hatelabo.jp/20080109235219
親については個人的にはほとんど問題にしていない(と思う)が、別の問題で。 優しい自殺者に対して「死んだら皆が泣くんだぞ。お前がどうこうじゃなくて、皆に迷惑だ。だから死...
何歳になっても親のせいで変えられないことと、20歳くらいの人間なら自分の責任で判断できることに大きく分けられる。前者は永遠に親のせいだけど、後者は完全に自己責任だろ。 成長...
元増田ではないけれど、元増田は犯罪を親のせいにすることは否定している。 そして >20歳くらいの人間なら自分の責任で判断できる それは、判断力があれば責任があるということ? ...
直接の原因を延々とたどって行くのならば、それこそイブの「原罪」に行き当たるじゃん。 >元増田は犯罪を親のせいにすることは否定している。 最後のパラグラフは論点がぶれ過ぎ...
すまない。ちょっと自分の知りたいこととずれていた。 責任=判断力なのか?ということを知りたかった。 あなたの言ってることは正しいと思う。こちらの書き方が悪かった。
自己責任病乙。あなたは悪くないよ。 google:フツーをつくる仕事・生活術 28歳編 google:27歳からの就職術 google:ニートって言うな http://anond.hatelabo.jp/20080119153819 http://anond.hatelabo.jp/200801...