面白い記事を見つけました。
雑誌『俳句』平成18年二月号の「「インターネットの功罪」という記事です。
この記事はインターネットは俳句に対しどのような功罪(といいつつ悪いことばかり挙げてあったけど)をもたらしたかという事に関して書いてあって、
その中で目をひいたのは、「横書き俳句は何が問題か」という論題でした。
執筆者の福永さんは、現在のインターネット掲載されている俳句のほとんどが横書きであることを批判し、俳句というのはいかに縦書きが大事だということを指摘していました。
例えばこんな例。
瀧
の
上
に
水
現
れ
て
落
後 ち
籐 に
夜 け
半 り
という詩は横書きにすると、「句の力は九割方落ちる」とし
瀧の上に水現れて落ちにけり
この横書きの句を「何やらちょろちょろしょぼしょぼ、尿路障害症患者のおしっこのようになってしまったではないか」と評しています。
また、
愛
さ
れ
ず
し
て
沖
の
遠
く
に
藤 泳
田 ぐ
湘 な
子 り
という句は横書きにすると、
愛されずして沖の遠くに泳ぐなり
「大広間の畳の上での水練か身悶えかと思える」と評しています。
う??んどうだろうね。前者は確かにそうかも知れないけど、後者の句は人によっては横書きの方がよいという人がいるんじゃないかな。
ただ少なくとも、既存の俳句の中から横書きになると情緒を損なう句の例を意図的に取りだし、さも俳句全体に悪影響を及ぼすという風に論じるのはせこいなぁと思う。
なんか初めから結論ありきみたいで。
逆に、横書きにすればかえって、面白くなる句もあるんじゃないかな。
残念ながら句に関して守備範囲外の僕は、具体的な例を挙げることは出来ないけど、
短歌だったら、
海知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり 寺山修司
これなんかは横書きにする方が詩感が表現できている気がするのは僕だけか?
でも是非はさておき、このような問題提起をすること自体はとても大事だと思う。
よしもとばなな先生は『Voice』(平成十九年三月)で「縦になるか横になるかぐらいで私の文章を変わらない」と頼もしいことをおっしゃっているけれども、
今後、縦か横か論争は、もっともっと深刻な形で議論されるようになるはず。
とりあえず漢字やひらがな、カタカナは縦書きが基本だから、横にすると読みづらいのは確か。
でもこれももっと若い世代は違和感がなくなるのかな。
愛 さ れ ず し て 沖 の 遠 く に 泳 ぐ な り 字間をあければシズル感が出・・ないか?
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