2007-10-20

命をいただくということ

きょうの朝日の天声なんとかに魚をみんなくわねー、命をいただくことのありがたみを云々みたいな記事

魚の「命をいただく」。おいしい。ふーん。

そのとき思った。ああ、そうか。戦場で人の命だっていただかれるわな。

そしてそこではその撃った人が評価されたりするわけで、国としては国民が死んで減ると痛いわけで、

人の場合、命というのは価値が、別な意味で(直接的じゃなくて間接的な部分で)出てくるものなのだ。

魚が値づけされて市場に出てくるように、人の命も関係性のあるものがくっついてきたときには価値がある。

関係性を一切断ち切ってのたれてたら、あんまり価値ないけど。

で、思うのはだ。

そろそろ戦争みたいな前近代的な人命殺傷システムなんかやるなら

そういう国家間の陣取りみたいなのも経済システムのほうに組み込んでしまえばいいのに。

そうして、飢えている国も、紛争をかかえている国も、北のあの国も、国力が弱ってる国は売買されてしまえばいいのだ。

どこから出ているかさえよくわからない資金でM&Aされてしまえば、人民とりあえず貧困からは解放されるし、

売買されたくない国はがんばるだろうし、合法的に領地を広げることもできる。

ただ、気がつくと組系やマフィアの資金が入っている国というのも出来てくるが(実際、それに近い国は現存してるけどね)。

お金で買い占められて引き換えに命をいただかないで済む、そんな社会なら、誰もそんな戦争のために死ななくてもいいんじゃないのかな。

北朝鮮も少しは国ごと売ることを考えてみてはどうよ? それで首長はその買った国に保護されちゃえばいいじゃん。

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