とっくにどこかで指摘・分析されているのかもしれないけど、
覚え書き - 高校生のリアルで引用されている
昨今の子どもたちの間では、消費文化以外の若者文化が極度に貧困化した結果、彼らの人間関係から緩衝帯が消えてしまい、関係それ自体が赤裸々になってきています。お互いの関係を維持するために頼るべきものが、関係それ自体にしかありえなくなり、安定した距離感が失われてきています。
というのは子供達(?)においてはセカイ系がまさにリアルで進行中ってことを指摘しているんじゃないか。暗黙の共通言語たる"社会"=ここで言う若者文化の喪失が、空気と言う名のセカイとしてコミュニティを支配している、と。
ふと頭の中で繋がったのでメモ。
曖昧な「場」とか「空気」みたいな、しばしば“日本的なもの”として表現されてきたものが、部分的に無効化していったんだろうなとも思う(全面的にではないが)。生まれつつある...
ハイコンテクストとしての日本的なるものの"空気"と、現代の「空気嫁」の"空気"は単純に連続的な、異常進化の結果なのか。あるいは全然別物なのか。 ポストモダン的といえばそれまで...