2007-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20070222045706

 曖昧な「場」とか「空気」みたいな、しばしば“日本的なもの”として表現されてきたものが、部分的に無効化していったんだろうなとも思う(全面的にではないが)。生まれつつある新しい「空気」には、曖昧な調整機能があまりない。

 主観的意識が巨大な世界と直接対峙して切り結ぶ「われ思う、故にわれあり」な西欧の近代個人主義的感覚が、形を変えながら日本でも自生しつつあることの表れなのかな。

記事への反応 -
  • とっくにどこかで指摘・分析されているのかもしれないけど、 覚え書き - 高校生のリアルで引用されている  昨今の子どもたちの間では、消費文化以外の若者文化が極度に貧困化した...

    •  曖昧な「場」とか「空気」みたいな、しばしば“日本的なもの”として表現されてきたものが、部分的に無効化していったんだろうなとも思う(全面的にではないが)。生まれつつある...

      • ハイコンテクストとしての日本的なるものの"空気"と、現代の「空気嫁」の"空気"は単純に連続的な、異常進化の結果なのか。あるいは全然別物なのか。 ポストモダン的といえばそれまで...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん