2007-01-10

まとめサイトはいらない

タイトル変更しました)

何かを始めようとするときにまずはいろいろ調べまくってその対象の全体像(経緯、歴史、現状、バリエーション、評判など)をつかんでそれを自分なりにまとめて理解するということから入ろうとする癖がある。今風に言うと「まずまとめサイトを作る、そうしないと何も始められない」というまとめサイト脳なのか。なんかよくない。そういうメタ的な位置に立つことで優位に立とうとする頭でっかちさとかがくだらない。この癖は多分受験勉強で培われたものなんだろうなー。大体の場合、まとめを作っている間に飽きてしまったり、「全然楽しくないな、俺なんでこんなことやってんだろ」とか思っちゃったりするんだよな。とりあえずブクマするとかも同じ。読み切れないくらいブクマして何も使わないの。

自分で処理しきれないほどの情報なんて意味がないんだよね。ついつい「KJ法」とか「マインドマップ」とか「手帳を変えると仕事が3倍できる!」みたいな、新しい情報整理術を見ると惹かれてしまうのも同じだと思う。これは結局、自分で実感を持って扱える以上の量の情報を扱おうとするから情報整理ツールなんてものが必要になるんだけど、本当はそんなツールがなくても把握できる量の、実感の湧く範囲の物事からしか強度のある仕事は生まれない。ある仕事をするために情報をまとめようとして、その情報をまとめる方法を調べるために情報整理術の本を読んで、どの情報整理術が良いか調べるためにインターネットの評判を比較する、なんてことをやってるうちに最初に何をしたかったとか忘れて俺は何やってるんだろうとか思うわけですよ。馬鹿ですね。

情報の限定が大事だと思う。だから情報の少ない田舎に行きたい。1ヶ月に一回町に降りて行ってインターネット図書館書店に行ければ情報はそれで十分だ。精神と時の部屋に入りたい。つーかこの記事にしたって本当はこんな記事を書くつもりじゃなくて調べものをしてたんだけど、その調べる対象をまとめるやり方がよくわかんないとか思いはじめて、でもそういうまとめサイトを作ろうという思考自体がよくないよね、とか考えだして書きはじめたもので、結局はこれ自体が「メタ情報処理術論」なんだよね。なんで俺はこんなの書いてるんだろう。死のう。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん