はてなキーワード: 原作厨とは
原作厨のオレが元気に答えるぜ。
原作レイプってのは、原作に無いシーンを付け足したり、原作のシーンを細切れにして意味不明にしたり、そういうのを指すんだぜ。
それを行っても、原作の雰囲気が損なわれなかったり、逆に評価されたりすれば「神作品」とか呼ばれる。
その中でも一番ハイリスクなのが、キャラの性格を変えてしまう、もしくはありえない行動をさせてしまう事。
こればっかりは、成功した事例を探す方が難しいだろう。
そして、ここまで書いて元増田に問いたい。
原作付きの作品をアニメ化するってのは、原作のファンを取り込みたいんだよな?
その場合のレイプの反意語は同意の上での気持ちいいセックスですね。
彼らは忠実である事を求めている訳ではないのです。
つまりは
「お れ (達) が 気に食わない」
原作厨を攻撃する方も
「お れ (達) は 気に入った」
つまりは同じ穴のなんとやらで。
それは別媒体に移行した時点で、100%同じわけがないんだから、しゃーないですわな。
運ですよ、運。
ただし、そもそもが別媒体への展開自体を否定したい人もいるわけで。
漫画やライトノベルがアニメ化されたり、ドラマ化されたりすると、原作に忠実であってほしいという人が一定数いるけどなんでだろう?しかも原作に忠実でないと多数の者からみなされると、『原作レイプ』などと批判される。しかし原作に『忠実』であることは可能なのだろうか?作品に対する解釈って言うのは一人一人違うものじゃないのだろうか?よく受験国語に対しては「作者の気持ちなんてわかるわけがない」や「いろいろな解釈ができるのに、一つの答えを押し付けるのはおかしい」といった批判がある。そうした批判を漫画やライトノベルに適用すれば、漫画やライトノベルの解釈は一人一人異なっていてもよいことになる。もう一歩考えると解釈が異なる以上、ある人にとって原作に忠実にアニメ化したりドラマ化したりしたとしても、他の人にとっては原作に忠実でないということが起こりうる。二人や三人だったらみんな解釈が一致するかもしれない。しかしそれが1000人、10000人になったらどうだろう?みんなが原作に忠実であると判断できる可能性はほとんどないのではないのか?いわゆる「原作厨」はみんなが原作に忠実であると納得できる作品が作れると思っているのだろうか?