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東方同人サークルが無許可でボドゲをパクった挙げ句売り逃げる気満々
東方同人サークルあゆ屋が無許可でボドゲをパクった挙げ句売り逃げる気満々 まとめ - Togetter
知財関連なのでと経緯をいろいろと読んでたら法律関連が微妙に混乱してるように見えた。
気になったので、ちょっと突っ込んで調べてまとめてみた。
まず第1に、ゲームの「ルール」それ自体には著作権は及びません。
「ルール」はゲームの根幹を成すものではあるが、「著作権」は「表現」を守るものであって、「アイデア」を守るものではないからです。
ゲームの「ルール」と言うのは「アイデア」の部類に属すため、著作権法の対象外なんですね。
したがって、「遊び方を盗んだ」だけなら、少なくとも著作権では守れません。
では守る方法は無いのか?ですが。
「アイデア」を守るには、「特許権」「実用新案」などがありますが、
と言う事で、ゲームにはどちらもなじみません。
まぁ、これら二つとも基本的に産業振興のためのものであって娯楽は想定外ですから、この時点で登録の対象外になりますが。
と言う事で、事実上「ゲームのルール(遊び方)」と言うものには権利が無いんですね。
しかし、ゲームのルール「ブック」。つまり「遊び方の説明書」と言うのは「ルール(アイデア)の表現物」となり、これは著作権の対象となります。
そこで今回の状況をチェックしてみたのですが
eo お金ないんでルール読んで妄想遊戯: 東方版シャドウハンターズに、池田氏が困惑
説明書について、なんだか怪しそうです。
他のところも情報収集してると、一応、カードについてはそれっぽい変更を加えていたそうですが、それも微妙なようです。(URL失念。あゆ屋のブログ記事の消去されたものだったかな?)
と言う事で、どーもこの辺りで著作権法の二十七条翻訳権、翻案権等、を踏んづけているように見受けられます。
とはいえ、本格的にチェックするには実物で見てみないとなんともいえません。
そこまでやる気は無いのでルールについてはこれくらいで。
ところで、電源不用ゲームと言うのは、ルールだけで終りと言うものばかりではありません。
汝は人狼なりや?のように、ルールだけでも十分成り立つものもあります(カードでペルソナを決めるなどはフレーバーであって、ゲームルールの本質では無い)。鬼ごっこ、かくれんぼなども、ルールだけで成り立つものでしょう。
これとは別に、ルールが道具を使うことを前提としたものも大量にあります。トランプのゲーム各種のように。お手玉、あやとりなどもそうですね。他、福笑い、カルタ、人生ゲーム、囲碁、将棋 etc...ドイツボドゲを並べても面白そうだが、際限ないのでやらない。
今回のシャドウハンターズもそのように、いくつものカードやコマを用います。
そこで、問題となったものを見てみると
eo お金ないんでルール読んで妄想遊戯: 『シャドウハンターズ』 東方版
ボードのデザインがオリジナルとほぼ同じなんですね。手直しが若干入っている程度。
ボードのデザインと言うのは、言うまでも無く「表現物」です。よって、著作権法の対象となります。
そして、権利管理者が「アウト」をTwitterで明確に示した時点で、「完全にアウト」なんですね。
権利者が再販のために動いているたと言う話や、デザイナーと権利関係についてまとめるのに2年かかってるなども含めると、今回の行為を怒るのももっともかと。
以上のように、ゲームのルール(遊び方)それ自体は法律による権利としての保護対象にはなりません。
したがって、シャドウハンターズを「参考に」オリジナルでボード、カード、ルールブックを再構築した場合は、オリジナルゲームとして販売可能だったわけです。
ゲーム製作者は腑に落ちないでしょうが、これが法律の解釈になると考えられます。
実際に、ついこの前の釣りゲーの法廷でも、「創作表現(著作権が発生する)」であるのか、或いは「ルールの普遍的表現(著作権が発生しない)」であるかで争われています。「ルールについてのよくある表現である(表現ではあるが創作ではない)」と言う考え方な分けで、「ルール」が似てることが問題じゃないんですね。
そして今回はルールの問題よりも、ボードの表現がコピー改変なので、こちらで完全にアウトです。
ゲームに使用する表現物のコピーと言う意味では、任天堂花札をベースにキャラクターを入れ替えていたタイバニ花札騒動なんかが最近の参考になりますかね。
てな所で。
サーチ中に意匠「権」を想定して語ってる方が。しかしゲームのボードなどには「意匠権」を及ぼすことはおそらく無理です。
デザインの意味で「意匠」の単語を用いることは(知財関連を語る上では紛らわしいですが)間違いとはいえません。
しかし、特許権、実用新案権と同じく、意匠「権」となると、産業利用であることと、登録主義であるため、このような娯楽の場合、権利は無いと考えておくのが妥当かと。
今回はおそらく意匠登録は行われていないと思われますので、意匠権は発生していないかと。(理由修正)
著作権は「無方式主義」であるため、表現された物があれば自動発生します。
商標権は「既知の商標」と言う概念があるため、未登録でも認められる「場合があります」。Perl を第三者が勝手に登録したが無効化した!なんかが、最近あった例ですかね。コナミ登録商標問題はすでに過去かな。逆に認められなかったのが「東方Project」商標登録問題です。
と言う事で、特許権、実用新案権、意匠権の性格は、著作権、商標権とは若干違うので、法律として語る場合は注意しましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20120906191656
突っ込み受けました。
ボードや駒でも意匠登録すれば権利受けられるよー……という事で、打ち消し入れました。
母ちゃんからメールが来る。
「ばあちゃんが なくなった」
79歳・・・。突然だった。ほんとに突然だった。
つい一週間前の正月にひ孫連れて会いに行った時は、普通に元気にしてた。
それまでも1??2ヶ月に1回は会ってたんだけど、その時はなぜだかいつもよりたくさん会話した。
「13日は孫(オレから見たら従妹)の結婚式があるね。
寒かけん、風邪ひかんよーに気をつけんばよ??。」
そんな事を言って、その時は帰った。
・・・まさか、それが最後になるとは思ってもなかった。
2年半前には、じちゃんが亡くなった。
じいちゃんは長い間病気で、いつ死んでもおかしくない状態だったから、それなりの覚悟はできていた。
じいちゃんが居なくなったら、ばあちゃんも弱ってもしかしたら・・・。
っていう周りの心配をよそに、ちょっとボケが進んだくらいで、元気だった。
補助なしの二輪自転車に乗って買い物に行くし、広い家で一人、ご飯作ってお風呂入って、生活してた。
老人ホームや周りの人間からの世話を嫌がっていたので、1日に1回くらいで誰かが様子を見たりしていた。
オレが親にも会わせた事のない彼女を連れて行った時、
オレの元嫁と間違えないように一生懸命名前を覚えようとしてくれていた。
たまにボケてて、完全に間違えてる時もあったけど、ばあちゃんの優しさに応えるため、
ばあちゃんの笑顔を曇らせないため、オレ達は気付かない振りしてた。
じいちゃんが亡くなった時、一番残念だったのは、ひ孫に一人も会わせられなかった事だった。
あと4ヶ月待てば、オレの次に結婚した従妹が初めてのひ孫を産んだのに・・・。
でも、ばあちゃんには一人だけだけど、ひ孫に合わせることができた。
「会いたい、会いたい。」って言うからヒマさえあれば連れて行って一緒に遊んでもらってた。
ひ孫もすぐになついて「ひーばーたん、ひーばーたん。」と言ってた。
ばあちゃんの喜ぶ顔を見て、周りも安心していた。
「まだまだ、いっぱい遊んでやらんばね!」
そんな矢先の突然の不幸。。。
死因は「急性心臓死」。
少しだけ心臓が弱かったばあちゃんは、9日の朝6時頃、一人でご飯を食べている時に倒れた。
最初に発見されたのは、10時過ぎに長男が様子を見に行った時・・・。倒れてから4時間も経っていた。
その時には既に息はなく、救急車が来ても応急処置をすることなく「死亡」の通告。
一人だった事から、事件の可能性もあるとして、警察官やら検察官やらが来て、調査する。
その間、1時間以上ばあちゃんはその場に倒れたまま。
結局事件性はなく、急性心臓死と診断される。
その日の夜。
仕事を終えたオレはばあちゃん家に向かった。
家族や親戚はもう帰った後らしく、オレの親だけが残っていた。
「みんな驚いていたよ。」
そりゃあそうだろう。オレも驚いている。
というか、未だに信じられない。実感がない。
布団の上にいつものように横になっているばあちゃんの顔には白い布が被せられている。
けど、それを見ても実感できない。
ゆっくり布をめくってみる・・・。
既に死化粧された顔は、白く綺麗だった。
手で頬に触れてみると冷たい。雪のようだ。
けど、それでもまだ実感できない。
ただ寝ているようにしか見えないくて、涙もでてこない。
10日が友引だという事で、10日がお通夜、11日が告別式になった。
翌日10日。
どうしても仕事を休めなかったオレはいつも通りに出社。
なんとか定時に終わらせてお通夜に向かう。
お通夜とか葬式をする時には、遺族の悲しみも薄れて単なる行事ごとの一つになったりするもので、
今回も例外ではなかった。
遺族や参列者の中で、心から悔やんでくれているのは何人いるだろうか?
遺族への挨拶や、お焼香も、礼儀・作法を守る事が第一のように見えてきてバカらしくなってくる。
そこではあたかも宴会でも開かれているような雰囲気。
・・・・・。
あなた達にとってお通夜って何ですか?
あなた達に、そこに居るばあちゃんの姿は映ってますか?
いつも通りの風景に、いつも通りに納得のいかないままオレはばあちゃんに線香をあげる。
ひとしきり喋って飲んで食べた人たちが、家に帰ったりその場で眠ったりし始めた。
オレは一人、ばあちゃんの前で線香をあげながら明日孫代表で読む事になった弔辞を考える。
・・・なんでかな?
哀しいはずなのにまだ一回も泣いてない。
オレもやる事が多くて、単なる行事ごとになってしまったのかな。。。
翌日11日。
弔辞の打ち合わせ。
葬儀場の人
「もし弔辞をお考えになられていないのであれば、
こちらで用意したものを少しアレンジしてお読みいただく事も可能ですが?」
オレ
「・・・・・(なんだよ、それ)・・・・・。
いえ、自分で考えたものを読みます。」
釈然としないまま、オレは弔辞を読む。
ばあちゃんとの想い出、ばあちゃんへの感謝の気持ち、お別れの言葉を読み上げていく。
・・・すると親族や参列者から泣き声が聞こえてきた。
オレの弔辞で泣いてるのか、葬式の雰囲気に泣いてるのか分からないけど、それでもオレは泣かなかった。
後から言われたんだけど、
「ともくん、弔辞良かったよ。感動した。」
・・・なんだそれ。
あなた達を感動させる為に読んだんじゃないよ。。。
なんだろう。オレの方がおかしいのかな?
たぶんオレだけ泣いてないし、周りの人間のやる事なす事がいちいち気になるし。
もしかしたら、オレだけがひねくれてるのかな。。。?
告別式も終わりに近づく。
親族・参列者が棺桶に花やら想い出の品やらを入れていく。
オレは、一通ばあちゃん宛に書いた手紙を入れた。
ばあちゃんに言いたい事、聞きたい事、誤りたい事、お礼を言いたい事。
弔辞とは違って本当に言いたかった事、便箋3枚に書いた。
内容は誰も知らないオレとばあちゃんだけの秘密。
後でじいちゃんと一緒に読んでね。
告別式が終わり、火葬場へ向かう。
いよいよばあちゃんの姿を見るのもこれが最後になる。
2年半前、じいちゃんが火葬される直前、ばあちゃんがひと言だけつぶやいた言葉をオレは聞いた。
「今までありがとうね。」
2人で50年以上付き添って、最後の言葉がこれだった。
オレはその時、じいちゃんの死より、その言葉に感動して泣いたのを覚えている。
今度はオレから言うよ。
「ばあちゃん、今までありがとうね。」
単なるいち孫が言うのはじいちゃんに申し訳ないけど、オレからの最後の言葉はやっぱりこれにするよ。
火葬されてしまうまで1時間半。
みんなはまた思うように過ごす。
テレビを見たり、ケータイいじったり、おやつ食べたり、タバコ吸ったり、昼寝したり。
オレは少し焦げ臭い火葬場を離れて少し歩いた。
山の中腹から見下ろす風景は、ばあちゃんが79年間ずっと住み続けた土地。
田舎ではあるけど、だいぶ変わったんだろうな。
ふと、ばあちゃん家の隣に住んでた時の、藁葺き屋根の家を思い出した。
オレが小学校の頃に取り壊したけど、ばあちゃんとの想い出が一番つまってるのはあの家だったなぁ。
薄暗い土間の奥にあるお風呂。
怖がって一人で行けなかったオレを連れて行ってくれた。
縁側と庭でいろいろ遊びを教えてくれた。
ばあちゃん、オレは男の子だよ!
そういや悪ふざけでばあちゃんを川に突き落とした事もあったなぁ。。。
親に怒られてるオレに、ばあちゃんは笑いかけてくれた。
オレがどこからか盗んできた梅の実を漬けて、梅干しとか梅酒を作っていっぱいくれたね。
梅の美味しさを知らなかったオレは、梅が嫌いになって今でもあんまり食べられません。
そうそう、オレはばあちゃん家の中庭が大好きだった。
鯉が泳いでいて、アメンボとかカエルとかいたからしょちゅう見に行ってた。
あんなに広く感じたばあちゃん家。
でかくなったオレは今では背中曲げないと歩けない。
走り回ってた廊下も数歩で歩けるようになってるよ。
・・・あぁ。やっと少しずつ実感が沸いてきた。
ばあちゃん、いなくなったんだなぁ。。。
ばあちゃんが死んで2日以上たって、初めて涙が出た。
もう、あの優しい笑顔に会う事はできないだね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
火葬場の人から呼び出しがかかる。
そろそろばあちゃんの骨を拾ってあげる時間だ。
(・・・よし!)
オレは泣くのを止めて、火葬場に戻る。
ばあちゃんには最後まで涙を見せないでお別れしよう。
人が焼ける独特の匂いの中で骨を拾ってあげる。
昔はオレを軽々おんぶしてくれたばあちゃんが、今はこんなに小さな骨になっている。
普通は骨壷に全部入りきれないものなんだけど、ばあちゃんは全部入れてあげる事ができた。
お寺への納骨まで終わって、やっと全ての「行事」が終了。
みんなはそれぞれの家へ帰っていく。
オレはいつまでも暗い気持ちでいたくなかったので、友だちと遊びに行った。
そして翌日12日は仕事に行った。
オレはこの時くらいから、ある事に少しずつ気付き始めていた。
さらに翌日13日は従妹の結婚式。
先月には従妹のお婆さん(オレからは遠縁になる)が亡くなり、4日前にはばあちゃんが亡くなり、
結婚式を挙げるかどうか悩んでいたみたいだけど、両ばあちゃんに見せてあげたいから、と決行。
両ばあちゃんも喜んでくれただろうね。
翌日14日はみんなの都合に合わせた結果、初七日をするようにした。
もうみんなほとんど悲しみは癒えたみたいで、昨日の結婚式の話しとか明るい話題も増えていた。
明日からはみんな通常通りの生活。オレも仕事。
ばあちゃんに線香をあげて、家に帰ろうとしたその時。
ばあちゃんの遺品を整理してたら出てきたと言われて一つの封筒を受け取った。
どうやらオレに関係があるものらしい。
その場で見る勇気がなかったので、家に帰って開けてみる事にした。
封筒から出てきたのは1枚の写真。
ただ・・・元嫁の親族側ははさみで切り取られていた・・・。
オレが離婚した時、親の次に気をかけてくれたのがばあちゃんだった。
「どんな風になっても(離婚しても)、ともくんの幸せが一番大切よ。」
と言ってくれた。
その時も泣いたけど、思い出して今日もまた泣いた。
いっぱい心配してくれたんだなぁ。と思うと同時にいっぱい心配かけさせたんだなぁ。と悔やんだ。
ふと、写真の裏を見たら、ばあちゃんが書いたと思われる文字がいくつかあった。
「××ちゃん」
と書かれたとこには取り消し線が引いてあり、その下に
「○○ちゃん」
と10回書かれていた。
そう。
元嫁の名前を消して、何回か連れて行った彼女の名前を書いて覚えようとしてくれていたのだ。
それを知ったオレは涙が溢れ出た。
最後までばあちゃんの優しさに触れる事ができた。
そして、ばあちゃんが死んで5日。
受け入れる事を止めていた自分にはっきり気付いた。
「行事」や「他人」のせいにして、受け入れないようにしていた。
そして仕事したり友達と会ったりして、できるだけ一人になる時間を作らないようにしていた。
一人になると当然ばあちゃんの事を考えてしまうから、受け入れてしまうのが怖かった。
でも、もう、受け入れよう。
ばあちゃんはいないのだ。いなくなったのだ。
そう思ったら、今まで我慢していたのか、ずっと、ずっと、泣いていた。
淡々と書いた弔辞も手紙も、今思い出したら涙なしには書けない。
そして、さようならだね。
出来ることならもう1回ちゃんと結婚して、
ひ孫を見せたかったなぁ。
何かと不器用なことで悩んでいる。
まず、体育。球技がだめ。ボールをうまく扱えない。サッカーも小3で始めたが1年もたなかった。気がついたら感じる劣等感。
バレーでボールが飛んできてもうまく返せない。なぜかボールがまっすぐ上がらない。なぜかサーブが入らない。
サッカーで飛んできたボールをうまくトラップできない。見当違いな方に蹴ったボールが行く。シュートなんてもってのほか。
バスケなんて論外。あんな小さい輪っかに入るわけないっつうの。だいたいドリブルができない。ボールがついてこない。
当然他の種目もダメ。短距離走だけは平均ぐらいあったから何とかなったけど、長距離走なんか下から3番目から5番目くらい。
器械体操系はちょっとできたけど、別にめざましい活躍をするわけでもなく。
あと、カナヅチだった。中二のときは「生物は進化し陸に上がったのになぜわざわざ退化する必要があろうか」などと言っていたなあ。
図工、あるいは美術。
どうやったら絵が描けるのか分からなかった。大してやっていることは変わらないだろうになんであんな作品の質が変わってしまうのだろうか。
裁縫、ミシンなどは必ず残らされていた。終わるの後ろから3番目か5番目くらい。出来も下から3番目から5番目くらい。
先生の注意を反芻してしっかりやろうという意思はあるはずなのに、できない。
思うように手が動かず微妙にずれる、もしくは何かしら注意点とかやり方を忘れてやってしまう。
さらに、気がついたら作業が遅れている。友達と一緒にやっているように見えて、気がついたら二倍くらいの差がつく。
遅い上に雑でしかも回りにやり方聞いて迷惑をかけるという最悪な奴だ。
調理実習は野菜をとってくる、プリントを引っ張り出す、フライパンを洗う、箸を洗う、皿を洗う、そういうことしかしなかった。いや、できなかった。
音楽。これはもうちょっとましだった。小2からピアノを始めていたからだ。1年でやめてしまったが。
しかし、ましだというだけで、別に何もなく。
リコーダーは、指が回らなかったか音がちゃんと出なかった。まあ、それだけならみんなそうだから別に平均くらいなのだが、なぜか「音を聴いたらそれが音階上のどの音か分かる能力」を持っていたためにプライドは高く、ちょっとできないだけでずいぶんな劣等感を感じた。
そして、音痴だった。音を外す。歌っていると気がついたら音が外れている。「音を聴いたらそれが音階上のどの音か分かる能力」は歌には効果を発揮してくれなかった。リコーダーとか音がはずれるとそれを敏感に感じられたが、歌だと何も感じなかった。
中学に入って吹奏楽部に入って楽器を始め、結構頑張って楽器に関するコンプレックスはできずにすんだが、歌うことにおける音痴は直らなかった。カラオケなんかとんでもない。
授業だけでない。他の場面でもそうだった。
休み時間にするあやとり、折り紙。全然出来ない。あやとりなんかさっぱりだし、折り紙も、まず紙を半分にしっかりできない。裏側の白いのがはみ出る。どうやったらそうならずに折れるのか皆目分からない。
スキー、スケート。家族みんなができるのに自分はできない。中学のときに、4つ下の弟は思う存分滑っているのに自分は全然できなかったという記憶が残っている。
あと、自転車が乗れない。気がついたら乗れないままだ。
プログラミング。中学時代、周りにオタクが多かったんだが、彼らのうち何人かがプログラミングを始めた。自分も始めたが挫折。なぜかエラーが頻出する。周りはそういうこともなく形になっていった。
ゲームも苦手だ。対戦ゲームは最初っからへただし上達も遅い。後から始めた人の方がすぐうまくなるからやる気をなくす。ボードゲーム、カードゲーム、テレビゲーム問わず。
文化祭の準備で木材を切ったり、塗ったりするのも自分はできなかった。あまりに遅いし、あまりにできあがるものの質が悪いからだ。
とりあえず娯楽という娯楽、作業という作業において人より遅く、質が悪かった。
勉強だけはそこまでひどくなかった。
だが、これらのコンプレックスは消えない。何をやっても他人に劣る。
他人(いわゆるステレオタイプとしての一般人)よりできることは、まあ楽器がちょっとできるというだけだろうか。
でも、プレゼンテーションとか演説とかは得意。初対面となかよくなるのは得意。
しかし、人と比べると、当然のようにできることが出来ない上にしゃべることしか能がないのは本当にどうしようもない人間。さらに、病弱だとか家庭環境が悪いだとかのハンディキャップがあるわけではない。
悲しくなってくる。
このような悩みを共有できる人はいないのかねえ。
とりあえず聞いてほしくて増田に書いてみた。
何が悪くてこうなっちゃったんだろう。幼少時にずっと図鑑読んでて絵本も読まず折り紙とかそういうことを全くしなかったからか?
それとも、何事も続かない性格だったからか?