学問であっても救済なんだよ。社会学は人の祈りに寄りそう救済の物語を学問という形でアウトプットしてくれてる
俺にとっても増田は救済だよ。俺の祈りに寄り添う形でどうでもうんちをアウトプットしてくれる。
じゃあ医学も救済だな 生きたいという人の祈りに寄り添う あっ、工学も救済だな 楽をしたいという人の祈りに寄り添うから ああじゃあ数学も救済かな
祈りがなければ論文にもならないから正しい意見だと思う。 それを前提としてあまりにもわかりきったことを放言して実質的な救済をしない。
分かりきって来たんだからお前も救済してないほうだが
学問は大衆の役に立つためにあるべきだというラジカルな意見を言いたいわけではなく、救済でお腹がいっぱいになってしまった時の苦しみの鳴き声なんだよ。
ぐえー
祈りってなんだよ?他人に通じない言葉使うのやめろ。 論文を書くと言う労力をかける動機のことを祈りって呼ぶなら、そらあ祈りがなくちゃ論文は書けねえだろうな。くだらねえ。
他人じゃなくてお前だけ