あらゆる欲がある限りは『力への意思』の奴隷状態であると思うし、
かといって解脱したように我欲を捨てたとしても、そこに残ったものを顕微鏡越しにも見れば、そこには未だ「力への意思」との言葉が浮かび上がってきそうな気がする。
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