2017-03-04

受験勉強趣味勉強は違う

一時期よりは減った気がするけど、まだ「受験勉強は本当の勉強じゃない」とか「大学入試で頭の良さは測れない」とか「受験勉強で学んだことは社会に出てから役に立たない」言う人がいる。そういうのって、受験しない人とか受験終わった人が言うのはいいけど、受験生が言っちゃダメだと思う、という話。

まず、「勉強」という言葉が、生涯学習とか、本当に自分が知りたいことを知るための勉強を指しているのであれば、「受験勉強」はそれらとは全く別物なので、受験生は早くそれを認識したほうが良い。受験勉強してて「こんなの本当の勉強じゃない」と思うのは自由だけど、思ったところで大学入試のレギュレーションが変わるわけではないので、「受験勉強と(自分が思う本当の)勉強は別もの」と割り切って、どうしてもやりたければ、受験勉強の合間に「本当の勉強」をすれば良いと思う。

以下、受験勉強と勉強の違いというか。

大前提として、受験勉強は最終的に自分が志望する大学の入試において合格点を取るための準備なのであって、頭の良さとか、社会に出てから役立つとか、そういうものとは全く無関係だと思った方が良いと思う。もちろん「受験勉強で学んだことは社会に出てから役に立つ」とか、「何が役に立つかわからなから広く勉強しておくんだ」とかいろいろ「受験勉強の利点」を挙げる人はいるんだけど、そういう受験勉強の「副産物」の議論は、自称教育評論家とかそういう暇な人とかにまかせておいて、受験生はすっぱりさっぱり忘れて良いと思う。

あなたは、理由はともかくとして、どこかの大学を受験することを決めた。かつ現在の状態ではその大学の入試を突破することができない。したがって、あと数年で入試をクリアできるだけの能力を身に着けなければならない。そこから逆算して準備するのが受験勉強。

繰り返すけど受験勉強は「最終的に自分が志望する大学の入試において合格点を取るための準備」なのであって、それ以上でもそれ以下でも無い。

そういう視点から受験勉強を見ると、効率の良い勉強法は自ずから見えてくると思う。

時間を測る

まず、受験勉強で時間を測らない、というのは根本からダメだと思う。全ての試験には時間制限があるから。問題を見て、だいたい何分くらいで解答が完了するか、時間内には全て終わらなそうなのかどうかがだいたいわかるようにならないといけない。場合によっては問題を解く順番を決めないといけない。その為には、問題を解く時に常に時間を測る癖をつけておかないといけない。

とりあえず、問題文を読んだら、何分くらいで解けそうかを予想し、それを記入する。もしくは目標解答時間が掲載されている問題集を使う。そして実際に時間を測ってみてどれくらいずれたかを確認し、修正をしていく。おそらく最初は、解答時間をかなり短めに予想してしまうと思う。それをなるべく早いうちに修正した方が良い。

解けなかった問題は、答えを見てから、その場でもう一度解く

試行錯誤が必要な難関大学の入試とかはともかく、センター試験の数学とかは見た瞬間に解法が思い浮かばなければいけない。そうじゃないと時間内に解答が間に合わない(その年の難易度にもよるけどさ)。なので、センター試験の数学の勉強をしているつもりの場合、問題を見て瞬時に解法が思い浮かばなかった場合にはウンウン考えてはいけない。10秒で解答が思いつかなかったら、答えを見ること。

これ、わりと実践できてない人多い気がするので、もう少し詳しく書く。

自分でセンターの数学対策の問題集を開いて、時間を測って問題に取り組むとする。この時、問題の解法がすぐに思い浮かばなければ、すぐに諦めて解答を見るべきなのに、それだと負けた気がするのか、10分も20分も粘って、なんとか解答をひねり出し、その後で解答を見て、合っていたらマルをつけてしまう。これではセンターの対策にならない。

センターの数学は見た瞬間に解法が思い浮かばなければならないのだから、見た瞬間に解法が思い浮かばなかったらそれはバツ。そして解答を見る。で、バツつけて答えを見て納得して、次の問題に行ってはダメ。「いま」その問題を解けるようになっていなければ、次にその問題をもう一度見たときにも解けるわけがない。

解けなかった問題を、答えを見た後に、答えを見ずに時間を測って解く。先に答えを見たんだから解けるのは当たり前、と思うかもしれないけど、多分解けないと思う。これは、その解法が完全には身についていないから。これ、実際にやってみるとイヤ〜な感覚がすると思う。これは、自分がその問題はもう理解したことにしたいのに、もう一度解くことで「実はまだ理解していない」ということが明らかになるのが嫌だから。

「できなかった問題を、答えを見たあとに、答えを見ずにもう一度解く」というのは徹底したほうが良い。「いま」その問題が解けるようになっても、すぐに忘れる。そしたら答えをまた見て、また何も見ずに解答できるようにする。それを繰り返すと、問題を見た瞬間に、解法のストーリーが頭に浮かぶようになる。

辞書を使わない

英語の長文読解を考える。この時、わからなかった単語に全部赤線引いて、あとで全部辞書でひいて単語カードに入れる人がいる。これは2つの意味でダメ。

まずダメなのは、この方法では「単語の重要度」を無視していること。頻出単語とそうでない単語は価値が違う。当然、頻出単語の方が価値が高いのだから、優先して覚えるべき。

そしてもう一つ、こっちの方が大事なんだけど、受験本番で、英語の長文に出てくる単語が全てわかる、ということは無いわけ。ということは、本番でもわからない単語がある中で問題を解かなければならない。

逆に、本番までには自分がどこまで英単語を覚えているはずか考える。例えば、「自分は受験本番時までには、(なんでもいいけど例えば)英単語ターゲット1900に出てくる単語は全て覚える」と決める。そうすると、家で英語長文問題を解く時には、「英単語ターゲット1900」に出てくる単語は知っているものとして解いて良いことになる。なので、その単語帳を辞書がわりに長文問題をやって良い。単語帳に載っていない単語は、「本番でも知らない単語」として、わからないまま解く。

この時、自分がひいた単語に「正の字」をつけて行くと良い。なんか記憶の相性みたいなのがあって、自分がなかなか覚えられない単語というのは人それぞれ違う。たくさん「正」がついた単語を単語カードに書き写して、重点的に覚えると良い。

そうそう、たまに年寄りの英語の先生とかで「本当に英語をマスターしたければ辞書と友達になりましょう」みたいな人がいるけど、それはどうかと思う。少なくとも受験英語と「本当の英語」とやらは区別したほうが良い。でも、「本当の英語」をマスターしたいなら、「和英」や「英和」ではなく「英英辞書」を使うべきではないかな。これは脱線。

ケアレスミスは実力

ケアレスミスは誰にでもある。中間とか期末の答案が返ってきて、ケアレスミスによる失点を見て悔しい気持ちはわかる。「ケアレスミスがなければ何位だった」と、自分の瞬間最大風速を確認したい気持ちもよくわかる。だけど、やっぱりケアレスミスは実力なんだ。これまでに模試などで取った最高成績が瞬間最大風速なのであって、「ミスを全くしなかったパラレルワールドの自分」の成績は、現実世界のあなたの実力ではないわけ。

もっというと、非常に簡単な計算問題を100問やったとする。パーフェクトが取れないのは良いとして、自分がどのくらいミスするか予想できますか?

これは、時間を測るのと同じで、簡単な計算問題をやるなりして「自分が計算問題をやったら、どのくらいの割合でケアレスミスするか」ということは認識しておいた方がよい。きっと、自分が思っているよりはるかに高い確率で間違えている。

ミスにはパターンがある。括弧を外す際に符号を間違えるとか、絶対値外す時の場合分け忘れるとか、とにかくミスする度にそのパターンを記録すること。そうすると、だんだん自分がどういうミスをどのくらいの頻度でやるかわかってくる。そうしたらもう「たまたま本番でミスをしない自分」に頼ることはなくて、「本番でミスをする確率をなるべく減らすにはどうすればよいか」を考えるようになると思う。

あと、大学入試で部分点は原則として期待しない方が良いよ。もちろん本番では完答できなくても部分点ねらいで何か書くんだけど、計算ミスしたらバツだと思ったほうが良い。

心構え

その他「消しゴムは使わない」とか「問題集の選び方とか」とか「予備校の選び方と相性」とか、細かいノウハウは無限にあるけど、そういうのは巷にいくらでも転がってるから好きに調べれば良いと思う。

ここで、ただただ強調したいのは、「受験勉強は大学入試を突破するための準備」であって、それ以上でもそれ以下でも無いということ。勉強が辛いからといって「三角関数の公式なんて社会に出てから使わないだろ」と言いいだすのは全く無意味。もちろん三角関数知らなきゃどうしようも無い分野なんていくらでもあるんだけど、それを言い出すと「その分野に行くつもりは無い」みたいな言い訳から逃げられないでしょ?自分には志望する大学がある。その大学の入試に三角関数が出る。だからやる必要がある。それだけ。

ルールとの戦いかた

最後に、受験勉強に限らないけど、世の中の仕組みについて。

世の中、どうしたって何かしらの「ルール」を設けて、その上で評価されがちなのね。で、そのルールに不満を持つことって多いと思う。でもね、我々にとり得る手段は「そのルール上で戦う」か「そのルールで戦うのを避ける」か「権力を手に入れてそのルールを変える」か、それくらいなのよ。

正しいか正しくないかはおいといて、だいたいその「ルール」(たとえば人事評価とか)の改正権を持つ人々って、その「ルール」において勝ち進んで来た人なのね。そういう人たちにとっては、その「ルール」で勝ち抜いてきたことが自信の拠り所でもあるから、なかなかそれを変えようとしないのよ。

大学入試もそう。大学入試という仕組みなんかで自分を評価されたくない、という気持ちはわからないでもない。でも、「大学入試という仕組みそのものを変えて、別の評価基準を作る」というのは、高校生にはほぼ不可能。高校生にとり得る手段は「大学を受験するか」「しないか」の二択(AO入試的な奴はここではさておく)。

で、こういう記事読んでる受験生、つまりあなたの親は、多分「大学には行くものだ」という固定観念持ってるんでしょ?「とりあえず大学は出ておきなさい、その後は何してもいいから」とか言うでしょ?

そして、あなたは船木誠勝みたいに

「母さん、もしも人生が2回あるなら高校へ行きます。でも人生は一回だけしかない。だからプロレスをやらしてください。そのかわりに生まれ変わってきてまた母さんの息子になったら言うことを聞いて高校へ行きます。」

とまではいえないでしょ?(この人の場合は大学じゃなくて高校だけど)

なにはともあれ、あなたは(嫌々ながらでもとにかく)大学を受験することを決めた。その瞬間から「なるべく最短の時間で、目標大学に合格する勉強法」を構築することに専念すべき。よっぽど難関大学を受けるんじゃなければ、効率の良い勉強をすれば、そんなに長い受験勉強は必要ないから、わりとその他のこともできる。どんなに遊んでるようにみえても、模試なり学校の成績なりが良ければ親は何も言わないよ。

(自分の能力からみてそこそこの)大学に合格した。その後なら「受験勉強はクソだ」とか「社会に出て役に立たない」とか自由に言って良い。

でも、「受験勉強はなんのためにやるか」を考えて、「効率の良い勉強」をマスター、実践しようと何年か努力したあなたなら、大学合格後は「受験勉強はクソだ」とか言わないで、すぐに次の自分の目標(例えば就職とか留学とか司法試験とか)を決め、その準備のためには何をすればよいか逆算し、なるべく効率の良い準備をして、空いた時間でキャンパスライフを満喫できると思うな。

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