努力って単語は嫌なことでも頑張るようなニュアンスを含んでるように思える 「PDCAサイクルを回す」に言い換えるとニュートラルに聞こえる なぜか努力って単語からは理性を感じない...
努力を手段とするぶんにはいいけど、努力すること自体が目的になっちゃうともうダメよね
いやあ逆だろ どう考えてもそれはダメ人間の人生訓だ
そもそもニュアンスで捉えていること自体に理性を感じない 嫌なことを頑張って目的を達成できるなら、感情抜きに手段の1つとして使えばいいんじゃないだろうか
好きで達成させたい目的や目標の為の手段や方法が全てが嫌ではないことの方が稀なのでは? 「努力は必ず報われる。 もし報われない努力があるのなら、それはまだ努力とは呼べな...
努力は「正しい努力」じゃないと意味が無くむしろ害にもなり得ることをちゃんと教育して欲しい