2011-01-10

疑問に答えるための疑問と、その回答から導き出された仮定のいくつか

(疑問1)「万能」である「神」には「失敗すること」ができるか?

(回答1)論理的には矛盾が発生するように見えるが、それは言葉の不完全性からくるもの。

     実際には「失敗することはない(従って、「失敗すること」はできない)」とする方が妥当。

(仮定1)「神」は「失敗すること」をやらせるために「自らに似せて」人間を創った。

(回答2)「神」は遍く時空に存在するのであるから、同じコトについて失敗することも成功することも、常にしているし、できる。

(仮定2)我々もまた、「神」の失敗作であり成功作である。従って、神は我々を「このように創りたかった」のかもしれないしそうではないのかもしれない。現実の我々を見ても、そこに神の意図を読み取ることはできないかもしれない(たとえば我々が「こんなふう」なのは、神の狙いではなく、悪魔がきてしっちゃかめっちゃかにしてしまったせいかもしれない。もっともその「悪魔」も、「神」が自らを失敗させるために創ったものなのであるが(訳が分からないと思われるかもしれないが、実際上記の定義に従えば、神は我々から見ると統合失調的に見えるはずだ))。

(回答3)「神」は「試行」しない。完全な存在であり「可能性」の中に無い以上、「~してみたら"成功"した(or"失敗"した)」という概念自体がない。決定論的宇宙の中では前提となる疑問1自体が成り立たない。全宇宙の全時間をたとえば一つの小説」と考えてみよう。作者は「小説」の『中』に『失敗を書くこと』はできるが、作者が小説において『失敗すること』はできない(書き直せばすむことだから)。

(仮定3)従って「神」はまさに「こう創った」だけであって、それが悲劇であれ喜劇であれあるいは不条理劇であれ、全ては「すでに書かれたもの」として在る。物語の登場人物が作者の意図を推測するのは勝手だが、そうすることも含めて作者の狙いでありあまり意味はない。

それでも「この宇宙」はどのような物語か?と問うてみたい気持ちは分かる。とりあえず、あらゆることが総合して入っているところを見ると一種の総合実験小説とも言えなくはないが、意外とただのしょーもないラノベかもしれない(何しろ我々が神に似ている以上、神の振る舞いは我々に似ているかもしれないのだから、我々が生み出すものが神の生み出すものに似ていることは充分考えられることである)。油断してはいけない。


http://anond.hatelabo.jp/20110110092013

に対して回答するための、手続きとして。

記事への反応 -
  • 横だけど、進化論は弱者の淘汰を前提にしてるようなもんじゃないの? まあつまりニートは死ね、とか無能は死ね、とか親和性があるというか。 まあ進化論なんて勉強すらしたことな...

    • 俺も横だけど・・・ 進化論の場合。 既に指摘されてるように、環境が変わると一部は環境に適応して生き延びる(進化する)。残りは死滅する。 だから過当競争と画一化で多様性を失った...

      • 進化論の面白いところは、弱者vs強者ではないこと。 もしそうであれば、恐竜は滅びないだろ、当時の強者だたんだから。  進化論が歌うのは、変化する環境に対応する多様性がある...

      • なんか勘違いしてない?環境が変化したことによってポケモンみたいに進化が引き起こされるわけじゃないよ(これは昔の実験で確認されてる)。そうじゃなくて、環境が変化したとき...

        • 遺伝に関する本を百冊読んでも、どの一冊にも書いてある程度のコトが理解できてない人間というのはやはりいるんだなあ、と思った。 言葉は無力だ。

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