2010-12-10

知的障害者怖い。

さいころ、近所に住む3歳くらいの子供が4階から落ちた。奇跡的に命はとりとめたものの、脳をやられて知的障害者になった。

頭の包帯もとれ、公園で遊べるようになったものの、いつもアーとかウーとかしか言わなくなった。

そしてよく分からない契機で癇癪を起こして暴れる。小さい子どもからジタバタするだけだった。

その子が小学校1年くらいになった頃にはだいぶ力もついてきた。

相変わらずアーとかウーとかしか言わない。

ひとつだけ変わったのは、小さい子供をつれたお母さん達が彼から自分子どもを引き離すようになったことだ。

話をしても通じない。突然暴れる。どこ見ているのかわからない。

よくよく見ていると、怒り出すきっかけも分かってきて、彼なりの優しさがあることもわかる。

でも、それは長い付き合いがあってこそわかること。

お母さんたちが怖がるのはとてもアタリマエのことだった。

しばらくして、彼のお母さんは公園で彼が遊ぶことを禁じた。禁じたというより家の中に閉じ込めた。

突如暴れられても対抗できるだけの体格になった今でも知的障害者は怖い。

突如暴れる。話が通じない。理屈が通じない。そういう存在だと思う。

自分子ども公園で遊んでいて、奇声をあげながら知的障害者が歩いてきたら間違いなく自分子どもを守ろうとするだろう。

例の記事で、町内会を批判する人達想像してほしい

自分にとって得体のしれないモノが、自分子どもにせまってくる恐怖はないか

彼らの恐怖を理解した上で、それでも彼らに、彼らだけにその恐怖を享受しろという言葉はどうなのか。

必要だという言葉は理解できる。

それなら、それに応じた補償なり、逃げ出すための支援金なり出すべきだろう。

彼らの恐怖を想像しようともせず、人権ジンケンいうアホどもに心底うんざりする。

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