判断材料が他にないんだから、何かしらの「お特感」を与えるのは何にでも見られる方法。
毎年公募やってんのも、受賞作品っていう下駄履かせるためのものなんだし。
実際の話、ただの人材確保なら時間と経費使って毎年やらなくてもいいんだよ、そんなこと。
一回開催して、目ぼしい奴を押さえて育てりゃいいんだから。
可能な限り即戦力となりそうな人材の募集と受賞作品という付加価値を与えて送り出すことによる部数増加の目論見こそ狙い。
系列の新レーベル立ち上げたり賞を増やすのにも限度があるからな。
出版社も必死なのよ、形振り構ってられないってこと。
ポプラのあのあからさまなやり方を見ててなんとなくでも分かってもらえるとは思うが。
昔と違ってメディアが増えて露出の機会が増えたのも原因の一つ。
公式のものでなくとも、自他問わず個人からの露出(リークも含む)というものもあるからな。
そのあたりを考えても、仕方の無い流れなのさ。
開発の手が入って不細工の行き場が次々なくなってるわけか。 環境破壊みたいだな。 適応できなきゃ滅びるしかないじゃん。
ていうか、競争が厳しすぎるんだと思うんだよねえ。同じことかもしれないけど。 最終的な椅子の数が極端に少ないから、何一つミスのない完璧超人じゃないと生き残れないようになり...
進歩には犠牲がつきものだ。 今日も100人位自殺しただろうが、振り向いてはいられない。 人類の繁栄のため、生まれてきた栄誉を彼らには与えよう。