女は出産、育児というリスクを負う。よって、より条件のいいオスがいるなら、いつでもそちらに乗り換える。それが母子ともに生存率を上げるための本能。よって女性がよりランクの高い男と浮気したり不倫したり愛人になったり別れてそっちに走ったりするのは至極自然なことなので、文句を言ってはいけない。自分よりランクの低い男とそういうことになった場合も、金銭以外の何かでその男が自分よりも優れているということなので、文句を言ってはいけない。だって本能なんだから。
処女信仰は人間にしかない。ゆえに、仮に人間の男に処女欲求があるとしても、それは自然な本能ではまったくない。むしろ人間という社会が生み出した人間にしかない社会的欲求である。よってそれを「本能」として正当化することはできない。むしろ本能という部分で言えば、人間は集団社会を構成する種族であり、個人よりも集団としての種の保存繁栄を望むはずである。そこに「個」を必要以上に主張するのは、ある意味人間という種として逸脱した行為だと自覚しなければならない。つまり処女欲求とは、人類として生物として異常な欲求と言わざるを得ない。
本当に処女欲求が人間という種として正しいことなら、男は処女としか結婚しないだろう。なぜそうはならないか? それが真理ではないからだ。結婚に処女が条件になっていない事実こそが、真の現実であることを受け入れ、己が異端であることを処女信仰者は認めなければなるまい。