あのころはまだ二人とも高校二年生だった。夏の河合塾でしばしば顔を合わせて、同じ授業とっている人だな、と思いながらも会話を交わさずに通り過ぎていくだけだった。
友達とふざけている顔、一人で弁当を食べている横顔、誰かを探してきょろきょろしている姿、じっとうつむいて電車を待っている影、そういうのを横目で見ながらいつも通りすぎていた。
相手もあれ、という顔はするもの何も言ってはこなかった。階段を一段飛びで降りてゆくとよく、同じように一段ぬかしで階段を上ってくる彼とはち合わせた。
目があって、でも何も言わずに踊り場ですれ違うだけ。
一言も交わさずに冬が来て、また夏が来て、そして冬になった。
わたしたちは、高校三年生になっていた。相変わらず同じ授業をとっていて、いつの間にか名前も覚えていた。
ぼんやりと同じ志望校だということは分かっていたけれど、相変わらず言葉を交わすことはなかった。
二人か三人しかいないような授業でも、たいてい二人ともいて、なのに二人とも黙っている。
おかしくて、でも心地が良くて、私はしゃべらなかった。
見かけないと風邪でも引いたのだろうかと心配し、予備校を休む日は今日は何人授業に出ているのかな、と顔を思い浮かべたりした。
ほどなくして授業も終了し、入試の日がやってきた。
手ごたえをあまり感じなかった初日の試験の後にため息をつきながら電車に乗り込んで家路に就く。
かすかな不安と、でもまだ明日もあるし、と言い聞かせて奮い立とうとする自分のことばかり考えていて、あまり周りのことは見ていなかった。
まだ明るい空が大きく開けて橋梁にさしかかったことを知った時、ふと視線に気づいて首をめぐらせる。
少し離れたところに、彼はいた。
いつものようにあれ、という顔をしてまた何でもなかったかのように景色を眺める。
いつもの横顔。その横顔がオレンジ色に染まって、橋の影が規則正しい速さで流れていくのを見ていた。
私もまた、窓の外に視線を戻してぼんやりと疲れ切った思考を緩ませる。
結局入試には落ちて、また一年がめぐり、そして春が来た時、彼は再びあらわれたのだった。
人数の多い授業で、少し遅れて入ってきた彼は席を探しながら私の顔を見つけてあれ、という顔をした。
まだ知り合いの少ない大学生活の中で、慣れ親しんだその顔にひどく驚いたのを覚えている。
でも相変わらずそれだけだった。私の隣はあいていなかったし、彼は友人を見つけてその隣にするっと腰をかけた。
私は少しだけ、笑った。それだけだった。
そして、そういう出会いがまた何度もあって、そのたびにあれ、という顔をするだけで相変わらず私たちは言葉を交わすことはなかった。
それから六回の春が過ぎて、私たちは卒業し、それから何年たったのか定かではない。
私の記憶の中から彼は薄れて、でも時々高校時代や大学時代を回想するたびにあの、驚いたようなとぼけたような、何とも言い難い顔を思い出して、
それでも二人とも一言も言葉をかわそうとしなかったこともついでに思い出して噴き出すのだ。
あの日々は懐かしい記憶になってしまったのだと思っていた。
人事部長が、紹介しますと言って彼を連れてきたときに、また私は口の中であれ、と言った。
まさかこんな所で。
挨拶をしようとして周りを見回した彼も同じようにあれ、というあの見慣れた顔をして、
ほかの部署のあいさつに追い立てられてすぐに去って行った背中を見ながら、だれにも知られないようにこっそりと笑う。
まさか。
そして、また。
いや、今度こそは。
初めて話すときになんと言えばいいのだろう。はじめましてなのか、お久しぶりですなのか、それとも。そう考えて笑う。
彼とはまだ、社内で会ったことはない。
それって運命じゃね?
これとほぼ同じ内容の増田を読んだ気がする。結構昔に。 しかし、文章のところどころをぐぐっても出てこない。なんだこれ。
素直に「いいな」と思った。 まだこれで半分もいってないような気がした。 不思議な話ってあるもんですね。ありがとう。
進学校→一流大→一流企業ならよくあること。珍しくはない。