とあるタイプ、相手の感情を揺り動かすことに注力した文章が、最近はどうでもよくなってきた。
全く感情が揺り動かされない。そのうち本当に感覚を忘れてしまいそうなので、ここにメモしておく。
自分で考え方を変えたワケじゃない。Twitterを常用するようになってから、考え方が変わったと思う。
とあるタイプの文章。
時事ネタを肴に、広範囲に対して悪罵や揶揄を向け、想定対象を自分達に振り向かせる「集客」を行うブログ。
はてなーには分かり易いと思う。
Twitterで例えてみる。
いつもは仲間内で固まってるけど、大きな時事があると、有名人ついったらーにReply、非公式RTで揶揄、皮肉、当て擦りを送り、そして揶揄のできを内輪で賞賛し合う人たち。
・・・・あまりフォローしたくない人。かといって、ブロックするわけでもない。
運悪く遭遇しても、「ん・・・・」と、ほんのちょっとだけ感情が揺り動かされて、素通りするだけ。
「どうでもいい物を見ない」なんて極普通のことでも、システムに明示されると、感覚は大きく変わるらしい。
NGワードや、非表示といった「悪辣な物を排除する」システムとは違い、Twitterは「どうでもいい物を見ない」ことを、システムに取り入れていた。
「悪辣な物を排除する」・・・それが行動に反映されたとき、人間自体を排除するために罵声をはてブなどで浴びせる行為に繋がってしまう。
これから先、ネットで悪罵や揶揄で「集客」するようなブログはどんどん廃れていくと思う。
悪意でしか振り向いてもらえない人間は、ネットですら孤独になると、言い換えてもいいかもしれない。
インターネットは残念は、昔の話。
また新しい悪意の芽が何処からか出て来ると思うよ。きっとそれを探しているはず。