本当に困ったときは、奪ってもいいんじゃないか、と思う。
だって、本当に困っているんだから。それ以上の理由は要らない、と思う。
もちろん、他人は納得しない。
けれど、そんなことは、余裕のあるときにじっくり考えればよい、と思う。
余裕のないときは、そんなこと考える余裕はない。だから、しょうがない。
奪って、余裕ができれば、考える余裕もできる。
そのときに、後悔したり、罪の意識に苛まれたりすればいい、と思う。
そのときに、ああ、あんなことしなければよかった、と思うかもしれない。
けれど、そのような感情は、余裕のあるときの贅沢品のようなものだ、と思う。
文学の題材になりそうな、かなりの贅沢品だ、と思う。
そのような感情は、言ってみれば、自分探しのようなものだ、と思う。
なによりもまず、生きていくためには必要なものがある。
罪の意識とか、甘いことを言っている暇はない、と思う。
もっと大人にならなきゃいけない。
奪ったりするのは罪だ。相手の人生も自分の人生も悲惨にする、と思う。
けれど、そのような想像力とか期待とかいったものは、余裕のあるときに持てばいい、と思う。
もっとシンプルに考えていかなきゃならない。
とりあえず、目の前にある問題に、どう対処するか、ということだけが重要だ。
それ以外のことは、重要ではないし、存在しない。優先順位をはっきりさせるのが大事だ。
けれど、実際に相手を目の前にしたら、躊躇するのではないか、と思う。
自信過剰に陥っているんじゃないか、と思う。
躊躇するのが、人間というものなんじゃないか、と思う。
これは、目的を阻害する要因になる。完全なコントロールはおそらく不可能だ。
だから、よくシミュレーションして、迅速に行動できるようにする必要がある、と思う。
たぶん、一回やると慣れる。場数を踏むのが大事だ、と思う。
モードをうまく切り替えられるようになる必要がある。
好きで困った状態になるやつはいない。
だから、ちゃんと共感して、困っている他人と協力して、よく助け合うべきだ、と思う。
理屈から言うとそうなる、と思う。
けど、むりだ。そんな余裕はない。
他人を助けるのは、余裕のあるひとが、趣味でやればいい、と思う。
余裕のない人は、まず自分を助けるべきだ。だからまず、余裕をつくるべきだ、と思う。
あまり将来のことはよくわからない。不確実だ。
だから、まず短期の確実な利益に目を向けるべきだ。それで余裕をつくる。
そのあとのことは、そのときに考えればいい、と思う。
人生はそのようなものだ、と思う。
だから、それが合理的だと思う。