2010-06-04

似ている。

なんか雲の上の存在みたいな有名人ともTwitterを通してだとなんだか気軽にやりとりできちゃったりする。

それがなんだか無性にうれしくて、そのやりとりだけで、いや、やりとり自体が既に動悸の止まらない一大事(と、いうわりにはしばしば起こるのだが)みたいなことになってて、舞い上がったりしてしまう自分がいるし、界隈を見てもそういう人はしばしばいると思う。





それが何に似てるかって、「ホームページ」という言葉が全盛だったあの頃、そう、僕は「コンパイル」という会社に夢中だった。

熱心に発行物を読み、ページをチェックし、そこにいる人たちの一挙手一投足に強い憧れを抱きながら見ていた。

あるとき、どきどきしながらメールを書いた。大好きな絵師の一人にだ。

メールが帰ってきた。そう、あの人からのメールだ。

それだけで自分が特別になったような、そんな気持ちになった。

だがしばらくすると、そういうメールを出すことも、メールが返ってくることも少なくなった。ホームページブログと呼ばれるものにかわり、そうするとメールの送り先などはなく、コメント欄というものが設置されるようになった。

コメント欄でのやりとりは有益なものだった。だが特別感はそこにはなかった。公開書簡だからだ。

今再びTwitterは、公開書簡でありながら、自分だけのMentionにあの人のメッセージを表示する、そんなコトをしてくれるようになった。それはまるで自分メールボックスに、あの人からのメールが届いていたときみたいな感銘を思い起こさせる。Twitterの魔力と呼ぶべきものがそこにあった。

こんな使い方は特殊なのかもしれない。だが少なくとも自分にとって中毒性の高い体験ではある。

  • 元増田がそうだ、って意味ではないから気分を悪くしないでね。 元増田はもちろんその辺はわかっていて、敢えてそういう楽しみ方をしているのはわかるんだけど、 そうじゃないストー...

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