「理屈じゃない」なんてことがまかり通る。
これは、身勝手なことをされた方がそれを「許せば」まかり通るだけであって、許さなきゃまかり通らないわけだし、そこでどこまで許すか許さないかをお互いすり合わせて行くのが恋愛。そういう理屈はちゃんとある。
ただ、お互い同士の契約だけで成立しているので、傍から見たら納得できない関係になっているということもあるだけ。
外注いいじゃん。なんでいけないのかなあ。
客観的に見てもまっとうな理由がある親御さん「は」助けてあげたいと思う。
1週間預けっぱなしとかは論外だけど、ある程度時間の融通の利く保育園が欲しいというのは、子供を預けて働く親御さんなら思ったことがあるんじゃないかな。
働いてません、働く予定もありません、お金もありません、でも子供は24時間いつでも預けたいっていうなら「それは違うだろう」と思う。ちゃんとその時間働いてて、収入なりのお金もちゃんと払うつもりがある人なら、いいと思う。待機中については、「24時間いつでも」預けなければいけないというシチュエーションがわからないので、要検討。面接くらいなら頻度も少ないし、ファミサポなりシッターなりで十分対応できるしね。
コメント増田は「親は1日中つきっきりで世話をしてこそ親」だと思っているのかな。
保育園・幼稚園に行かせたら外注だし、習い事だって外注。近所の子に面倒みてもらったら外注。学校関係も学童も塾も全部外注。なーんだ、外注してない人なんてまずありえないじゃん。
程度問題? じゃあ1日何時間一緒にいればいいの? 一般的に、自宅勤務でない父親は一緒にいる時間がずっと短いけど、それはいいの? 残業が多い人は、単身赴任の親は育児放棄なの?
自営業で勤務先が自宅の父親が「小さいうちはやっぱり一緒にいてあげたいじゃないですか。なんで会社勤めなんてするんですか?」って言うようなもんだよね。
古代琉球人のルーツは東南アジア人と後に渡来したアンゴルモア人とが混血したもの。海底遺跡がそれを物語っています。
これってなんかのコピペ?
黒光りも嫌いなんだよね。
まず「子育てを外注」の意味がわからないんだけど。自分は子育てを外注している気など全くないが、もしも保育所に預けることを「子育てを外注」というなら、それへの抵抗感のあるなしは各家庭による。いわゆる3歳児神話とかに洗脳されちゃってる人が働く女にケチつけたくなる気持ちはわかるけど、ケチつけられたところであなたの考えはそうなんですね、って言うしかない。
いずれにしろ男女問わず働いて稼ぐ人間にはバリバリ働いてもらって、自分でベッタリ子育てとかしたい人には中途半端に働いて他の人の仕事奪ったり子供が気がかりで仕事の効率を落とすようなことはせず、のんびりそっちに集中してもらったほうが、社会全体の損得的にはいいんじゃないの?行政の方針的にも全体を考えればそうゆう方向性にしたほうがいいんじゃない?って話なんだから。
>そんな事はないよ。
そんなことは無くは無い(w
元増田の言うとおりだと思うけどね。
落とし所を探すなんて馬鹿げてる。捨てた方が楽という考え方の人は多い。
だが一点。
そんな人でも「本気で惚れた相手」とは落とし所を探すことに必死になる。
つまり本気で惚れたか惚れないかだろうな。
よくある話だね。
君の言うのは正しいよ。
で、終わるのもなんだから、一つ。
しかし、それを盾に「殺してはいけない、乱獲してはいけない、それらは地球にとって間違いだ」という結論には至れないはずだ。
ここは「地球にとって」を「人間にとって」に変えれば至れる話。
寂しいと思う気持ちも高度な知能を持つ人間だから感じる要素だ。
確かに、世には「地球を守る」みたいな偽善と言いたくなるキャッチコピーに溢れていて、
そこが気に入らないのはわかるけれど、
人間にとって必要であると思えれば、そこはスルーしてあげればいいのじゃない?
どうしても出来ないなら「偽善」等を哲学の目線で考えてみるといい。
そもそも善とはなにか?っと考えてみてもいい。
すると、きっとうやむやになってくれるよww
んで結果として、「生物を守ることは正しい」だけが残るんじゃない?
どんなに否定しようとも、付き合ってた彼女に振られると言う事は、自分自身の人格を否定されたと言う事以外のなにものでもない。
あなたの人格は私と付き合う上で、私の求める物とは違う物だったと言う事。
自分がどんなに人格者であろうと思って行動していても、相手の為を思っての行動をしていても、それが相手の求める物と合致しているとは限らないのだ。それが相手に求められている物と違えば、否定される事は仕方ない。
そして、自分自身はその最も認めてほしかった相手に人格を否定されると言う経験をすることが辛くて仕方ないんだなぁと思う。
自分の中で「付き合う」って言う選択をした時点で、相手の人格を認めて、その人格を尊重する。また、妥協できない事があれば落とし所を探ることを頑張る。と言う気持ちがあった。覚悟があった。
だから、誰かを好きだと言う時には心底気をつかった。
相手も自分の人格に対して尊重し、妥協できない事があっても、それをすり合わせていくと言う覚悟があると思っていた。
でも、世の中はそうはできていない事を思い知った。
人格が求める事と違う場合は捨てて良い。落とし所を探すなんて事はしなくても良い。と言う考え方をする人たちがいる。
いや、むしろそっちの方が大多数だという事を思い知った。
独善的に何かをしても、その結果、相手との関係が永続的に続くとは限らないのだ。
相手のことを気遣い、相手の為に何ができるのかを考える。そういうことが付き合っていくって言うことなんだろうか。と考えていた。
でも、よく分からない。
頭でっかちだね。って言われればその通りなのかもしれない。
好きって言葉じゃなくて感じる物だよ。とか思うかもしれない。
うん、やっぱりよく分からないや。
でも、今、失って色々と考えてしまう。もう、正直悩みすぎて訳分からないのが正直な所だ。
好きって何?付き合うって何?別れるって何?
生きるって・・・・どう言う事?
え、そこまで子育てを外注して親だと主張されるのはなかなか抵抗があるんだけど。
そこまでやって育ての親を自称して欲しくはないなあ。
いや、親が子供を育てるなんてほんの僅かでしょ、とかいうならわからないでもないけど。