どんなに否定しようとも、付き合ってた彼女に振られると言う事は、自分自身の人格を否定されたと言う事以外のなにものでもない。
あなたの人格は私と付き合う上で、私の求める物とは違う物だったと言う事。
自分がどんなに人格者であろうと思って行動していても、相手の為を思っての行動をしていても、それが相手の求める物と合致しているとは限らないのだ。それが相手に求められている物と違えば、否定される事は仕方ない。
そして、自分自身はその最も認めてほしかった相手に人格を否定されると言う経験をすることが辛くて仕方ないんだなぁと思う。
自分の中で「付き合う」って言う選択をした時点で、相手の人格を認めて、その人格を尊重する。また、妥協できない事があれば落とし所を探ることを頑張る。と言う気持ちがあった。覚悟があった。
だから、誰かを好きだと言う時には心底気をつかった。
相手も自分の人格に対して尊重し、妥協できない事があっても、それをすり合わせていくと言う覚悟があると思っていた。
でも、世の中はそうはできていない事を思い知った。
人格が求める事と違う場合は捨てて良い。落とし所を探すなんて事はしなくても良い。と言う考え方をする人たちがいる。
いや、むしろそっちの方が大多数だという事を思い知った。
独善的に何かをしても、その結果、相手との関係が永続的に続くとは限らないのだ。
相手のことを気遣い、相手の為に何ができるのかを考える。そういうことが付き合っていくって言うことなんだろうか。と考えていた。
でも、よく分からない。
頭でっかちだね。って言われればその通りなのかもしれない。
好きって言葉じゃなくて感じる物だよ。とか思うかもしれない。
うん、やっぱりよく分からないや。
でも、今、失って色々と考えてしまう。もう、正直悩みすぎて訳分からないのが正直な所だ。
好きって何?付き合うって何?別れるって何?
生きるって・・・・どう言う事?
人格が求める事と違う場合は捨てて良い。落とし所を探すなんて事はしなくても良い。と言う考え方をする人たちがいる。 そんな事はないよ。
>そんな事はないよ。 そんなことは無くは無い(w 元増田の言うとおりだと思うけどね。 落とし所を探すなんて馬鹿げてる。捨てた方が楽という考え方の人は多い。 だが一点...
そういう事だね。 代わりに言ってくれてありがとう(笑)。
というか、できる限り本気で惚れないようにして生きるのが生活の知恵という奴だが。
男が生きるというのは、カネを集めてオンナを飼い慣らすことです。 それができない男は、オスとしての価値がないでしょう。