2010-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20100522093030

ううん、嫌な奴しかいないと思ったら、ということ。

よくいるでしょ。俺の周りには最低な人間しかいない。俺は不幸だ、みたいな感じの人。そういう人の場合についてね。

あとは、全肯定に反対してもかまわないけど、俺の場合、全肯定出来ないということは、その「嫌なものは嫌」という部分に関してどうしても自分を許せない、肯定できないからだという解釈になる。

別に科学的な話じゃないからオカルトで一掃していいんだけど、俺が言ってるのは「どんなに嫌な奴にも良いところはあるよ」的なものじゃないからね。ああいう説教はあまり好きじゃないから。

自分元増田だけど)の場合、全肯定はすると結構楽になるからしてるって感じ。もちろん、反射的に殺意や「嫌!」って感情が沸くことはある。でも、そうやって拒絶した後に、肯定してみると、ただ拒絶してるよりは楽になれる。

たぶん、見方の問題なんだと思う。全人類に嫌われる人間って、いないしね。

記事への反応 -
  • どんなに自分に関係のないように思えることも、すべて自分のなかにある。 自己責任という言葉ではなく、もっと根源的なもの。 誰かを非難するときに「自己責任」だと「無責任」に吐...

    • 他人との関わりの中で自分を発見していくのだから 自分一人で追求しても深化出来ない気がする。 人生という舞台で、いつも自分が主役である必要はなく、 その場その場で役割は変...

      • 他人が自分を映す鏡だと考えれば、たとえ自分以外の誰かが主役であってもそれは自分が主役であることと同じだよ。 他人との関わり合いの中で、っていうのはその通りだね。嫌な奴し...

        • 現実に関しては、嫌なやつしか身の回りにいないって事はないですよ。 一方的なコミュニケーションをとられる場合もあるので、 一概に自分の中の要素が原因だから、で済ませられる...

          • ううん、嫌な奴しかいないと思ったら、ということ。 よくいるでしょ。俺の周りには最低な人間しかいない。俺は不幸だ、みたいな感じの人。そういう人の場合についてね。 あとは、...

            • 増田が書いているのは 全肯定というより「諦め」と書いた方がしっくりくる。 嫌いなものがあるからこそ好きなものが輝くわけで、 それはその人の中で作られた信念やルールのよう...

              • 生きるということは執着を持つということですが、生きていくということは執着を捨てていくことでもあると思うのです。

      • 発見せずとも、常に自分はそこにある。 ゆえに、深化させる必要などなく、むしろ「深化」などあり得ないのだと気づくことが大切。

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