私に自慢できることはありません。人と話しても話は続かないし、動きは鈍いし、まともに人と目を合わせて挨拶もできない。良好な対人関係という夢のようなものにも縁がありません。そんなわけで私には仕事も長続きせず、ましてやバイトの面接に不合格になってしまうことすらままあります。
私には仕事人間の両親がいます。その両親は金銭に頓着がなく、自分の今やっている仕事さえできれば満足する人間です。両親は仕事の都合ばかり考えていて、私には干渉してきません。私は両親が使わないお金で生きています。文字通り両親のお金に生かされています。着ている服も、朝食べるパンも、住んでいる家もなにもかもを両親に頼って暮らしています。
きっと社会的には私のような人間の事をニートだとか社会のゴミ、屑と言ったりするのでしょう。当然です。私にはなにも自慢できることはありません。外に出ては人の目を気にしています。誰かに野次をとばされないだろうか、批判をされやしないだろうか。びくびくしながら生きる毎日です。もちろん外に出てコンビニに行くくらいで、私の生活を見透かしたような発言をする他人は存在しません。
私のような人間の末路はきっとホームレスなのかもしれません。何が一番の問題かと言えば、他人と上手く話すことができないことでしょう。他人と意思疎通をすることができなければ古代ギリシャにおけるバルバロスそのものです。バルバロスとは聞きづらい言葉を話す者・訳の分からない言葉を話す者とされています。バルバロスは奴隷として酷い扱いを受けていました。私には誰かから酷い扱いを受けることはありませんが、私は私に酷い扱いをしていると思います。私とて人並みの自意識というものはあります。その自意識が私のことを責めたてるのです。現実の非社会的な生活は一人の人間として誉められたものではなく、むしろ非難を浴びるべきものであると私は考えています。しかし私には今の生活以外は考えることができなく、どう転んでも今の生活に落ち着いてしまうでしょう。何故なら現代において他人とコミュニケーションをとれないということは死活問題に関わっていて、私はそこになんらかの障害を抱えていているからです。
あなたは、そんな思いをしてまで生き続ける理由があることに気がついているはずだ。