俺は身の振り方を完全に間違えていた。
だけどそれを俺は正しいものだと思っていた。
気持ち悪さと退屈を感じたんだけど、なぜかそのシグナルに反応しなかった。
新しい音楽を探すことも、新しく作家を探すこともしなくなっていた。
感覚がマヒしてしまっているのがわかった。
何かおかしいと思っても、無批判に受け入れようと努力していた。
その理由は、何言っても変わらないんだろうなという諦めだった。
面白い奴を見つけても、変な遠慮があった。人にかかわらないようになった。
自由を制限する方向にみんな動いているのが嫌だった。
いろいろなことをやった方がいいと、狭い世界で生きている人たちは言うんだけど、
実際それをやっている人は誰もいなくて、そこに奇妙な歪みを感じた。
「将来の為」の奴隷にはなりたくなかった。
単位を取るためにぎりぎりでやればいいさってのも違う気がした。
何事も本気にならないで行くのはぼくにとっては不自然だった。
全力を出すことを、真剣に考えるのを否定されるのは最低で苦痛だった。
俺は多分価値観をゆだねていたのだ。先輩や、友人や、教授を含む大人達に。
俺も俺で、説明を諦めていた。誠実じゃなかった。
固有名詞挙げて、知らない奴軽蔑して満足する奴らとおんなじだったんだ。
それで、それを変えてみることにしたんだ。
今のところは上手くいっている。失敗したらまた考えるつもり。