精神病の母を持つって、ほんとうにつらい。
人間には、成長するために母や父によって満たされなきゃいけない部分ってのがあって、
でも大人になったわたしは、そこが空白のままで生きている。
理由は上記のとおり、母が脆い心を持っていたからだ。
母は些細なことですぐに動揺し、泣き始め、怒り、かと思えば病的にわたしを甘やかした。
わたしはつねにさびしかったけど、そんな姿を見たら、とても母に何かを望む気持ちは持てなかった。
だからわたしは思春期になっても母に反抗なんてしなかったし、
台所で何か音が聞こえれば、受験勉強中でも飛んで行って母を慰めた。
満たされない何かを抱えて、わたしは大学に進学して、とある人と恋に落ちた。
その人といっしょにいると、とんでもない全能感、多幸感、下品な言葉を使うと「ブッ飛」ぶくらいのやすらぎに包まれて、
心の空白が埋まっていくのを感じた。
それは、初めて「わたし」が無条件に受け止められた経験だった。
長年にわたる父性への飢えが満たされたということもあるけど(相手はずいぶん年上だった)、
わたしの悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと、とにかく全部を共有できる喜び!
けれども母親は、わたしと彼を引き離そうと必死だった。
あの男は良くないとか、男はおまえのことを好きじゃないとか、あらゆる言葉を用いて彼を侮辱した。
帰りが夜になると、「デートだったのか」と問い詰められ、泣き、錯乱し、最後には必ず
「お母さんを大切に思うならあの男と別れて」
とわたしに懇願するのだった。
唯一の安らぎまで奪うのかとわたしが怒ったり泣いたりと感情を表に出すと、
「片親で大学まで出させてもらって、おまえはもっとお母さんに感謝すべきだ」
など、論点のずれたことを言い始めるので話にならなかった。
母から逃れるために家を出ていこうにも、
わたしは祖母(母の母)の介護をしていたのでそれはあたわず、ずっと母に支配され続けた。
母をなだめすかしながら、わたしは男と付き合っていたけど、結局は別れてしまった。
わたしの生活を彼が理解できなかったらしい。
別に自分がかわいそうだとは思っていないけど、
もっと別の環境に生まれていたら、わたしにはどんな可能性があったのかなあと泣けてきたので、ここに投稿しました。
上手く言葉が思い浮かばない。 ただ頭に浮かんだことを。 未読であれば、是非ご一読を。 母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか 斎藤 環 (著) 往々にして見出される...
さぁ、紛争国に生まれて 10代前に地雷を踏んで片足をなくして ヒ素入り水で生活して、肌がボロボロで 30代ぐらいで死んでいく 人生だったかも?