2010-03-29

就活における「公平」とはどういうことか

就職活動をしていると、「自己紹介の際に大学名は名乗らないのでください」とか、「大学名は書かないでください」とかいう話を結構聞く。

企業採用活動において学歴というものが、あたかも性別とか(アメリカにおける)人種のようなもので、「触れたら差別になる」かのように扱われていることに違和感を覚える。

なんで学歴が忌み嫌うべきもののように扱われるのか?

大学受験というのは、人生で最後の「公平な」試験だと思う。

ペーパーテスト人間を判定する事の良し悪しの判断は置いておくとして、その実施は非常に公平である。出身高校も、年齢も関係ない(高卒という条件はあるが)。試験に通りさえすれば無条件に入学が許される。書類審査も、性格検査も、面接も無い。大学によっては事後に試験の点数も開示される。これほど公平な選抜試験があるか。

その公平な試験を通った事に対して、なぜ「大学名は言わないでください」などと言う必要があるんだろう。まったく理解に苦しむ。

これから先、人生アンフェアなことばかりなのである。

それともう一つ、最近大学教授に「コネ採用」について考えを言われた。

コネ採用」ってなんか悪いイメージがあるけど、コネの中でも教授コネ採用ってのいうのは、そんなに悪いことなのだろうか、っていう話。

企業側は、はっきりいって数回の面接では学生の実力なんてわからないわけで、できることなら実力とか評価が定まっている学生を取りたい。で、「○○研究室でこの程度評価されている学生なら間違いないだろう」という基準を持つことができるのは非常に助かる。

アメリカは、日本一般ピープル想像するよりも、ずっと、学歴社会かつコネ社会だ。

なぜなら、(少なくとも新卒採用においては)出身大学やそこでの成績と、教授による紹介こそが人間能力を客観的に判断する基準たり得るからだ。年齢、人種、性別による差別が厳しく禁止されている世の中では、判断の基準というのは非常に少ないのだ。

だから、行き着くところ、「実績を残したものが勝ち」なのだ。

大学の入学試験かもしれないし、プログラムを書いて公開したのかも知れないし、いろいろある。

とにかく目に見える実績を残したものが評価される。実績がすべて。

これは、ある意味日本の低レベルな「公平」よりもずっと公平であると思う。

# 誤解の無いように書いておけば、俺はいわゆる「高学歴」の範囲に入る大学に在籍している

# (東大ではない)。大学受験東大に落ちたので、いわゆる「東大コンプレックス」はある。

# しかし、それでもこう思うのである。

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