ドラッカー、絶望せずに死ねるには
ttp://archive.mag2.com/0000269052/20081111002000001.html?start=20
社会は、人が社会において生きることを望むのであれば、
絶望せずに死ねるようにしなければならない。
その方法は一つしかない。
個々の人間の人生を無意味化することである。
■なんと、
人生に意味を与えると人は絶望して死ぬ。
というわけです。
誰しも人生に意味を与えたいですね。
俺がこの世に存在した意味は
・・・・だぞ~、とこの世をおさらばするとき
いいたいじゃないですか。
■しかしドラッカーは言います。
一人ひとりの人間が、人類と言う樹木の一枚の葉、
あるいは社会と言う肉体の一つの細胞に過ぎないとするならば
、死は死でなくなる。
集合的な再生の一つの過程に過ぎなくなる。
もちろん、その時人生もまた人生でなくなる。
それは、生命体のなかのひとつの機能的過程にすぎず、
全体との関連がなければ、
いかなる意味ももたない存在となる。
なんだか、東洋的無常観を感じさせますね。
■西洋の科学は個人に絶対の存在価値を置いた。
個人を社会と切り離した。
個人の存在の価値、人生に意味を与えた結果
絶望して死ぬしかない。
死は即すべての終わりになるから。
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