2010-03-20

ドラッカー絶望せずに死ねるには

ttp://archive.mag2.com/0000269052/20081111002000001.html?start=20

社会は、人が社会において生きることを望むのであれば、

絶望せずに死ねるようにしなければならない。

その方法は一つしかない。

個々の人間人生無意味化することである。

■なんと、

人生意味を与えると人は絶望して死ぬ。

というわけです。

誰しも人生意味を与えたいですね。

俺がこの世に存在した意味

・・・・だぞ~、とこの世をおさらばするとき

いいたいじゃないですか。

■しかしドラッカーは言います。

一人ひとりの人間が、人類と言う樹木の一枚の葉、

あるいは社会と言う肉体の一つの細胞に過ぎないとするならば

、死は死でなくなる。

集合的な再生の一つの過程に過ぎなくなる。

もちろん、その時人生もまた人生でなくなる。

それは、生命体のなかのひとつの機能的過程にすぎず、

全体との関連がなければ、

いかなる意味ももたない存在となる。

なんだか、東洋無常観を感じさせますね。

西洋科学は個人に絶対の存在価値を置いた。

個人を社会と切り離した。

個人の存在の価値人生意味を与えた結果

絶望して死ぬしかない。

死は即すべての終わりになるから。

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