2010-02-24

メメさんが死んだ。

正確には、半年前にもう死んでいるんじゃないか、って分かってて

その遺体発見された。

遺体トキさんの家の横にあった物置のすぐ裏側にあったらしく

丁度物置が老朽化して、新しいのに入れ直す作業をしていたトキさんの息子さんが見つけたらしい。

メメさんの遺体は、綺麗に白骨化していたそうだ。

トキさんの家の物置は道路からもほど近かったけど、

誰も異臭に気が付かなかった。

息子さんいわく

「猫は最後まで飼い主に迷惑をかけないんだよ」

と言った。

メメさんは、肩からせ中にかけて灰色の細長い模様がある、白い猫だ。

息子さんはトキさんを「飼い主」と呼んだが、正確にはメメさんはトキさんの飼い猫ではない。

メメさんは、5,6年前にこの界隈に紛れ込んだ野良猫だ。

片目を何時も半開きにして、目やにを出しているから、

「おメメちゃん」と呼ばれていた。

メメさんは神社の横にある公園の植え込みに時折現れては、

そこに置かれた餌を食べはしたが、誰にも懐かなかった。

その頃、トキさんの家には数匹の野良猫が居た。

トキさんは猫達を「飼って」いたわけではないらしい。

息子さんが月に何度か訪ねて来る一人暮らしトキさんは

猫たちが集まっても、何も言わずに縁側でよく手仕事をしていた。

猫たちの多くは、他の人から餌をもらっていた。

中には、本当は他の家の飼い猫である、なんてのも居た。

猫たちはトキさんの膝や、隣や、ささやかな庭にごろごろ転がって

時々喧嘩もしていたが、大した騒動にはならなかった。

メメさんがトキさんの家に顔を出すようになったのは、しばらく後だった。

メメさんは、どうやら社交的な性格ではないらしく

トキさんの隣の家の車の下で、トキさんの家に集まる猫を見ていることが多かった。

トキさんの家に集まる猫たちは、メメさんを気にしつつも、目を合わせないようにしていて

猫たちの間に流れる妙な緊張感を、周囲の人はなんとはなしに見守っていた。

トキさんの家に嫌がらせがあったと聞いたのは、丁度その頃だった。

トキさんの家の近くの道路だけが、真っ白になっていて、

それは猫嫌いの人が除草剤を撒いたのだと言う噂が立った。

同じ頃、公園の反対側にあった小さな工場が廃業して、ひとかたまりの建売住宅が建った。

そこに越してきた人の中で野良猫の保護活動をしている、という人が居て

集まってくる猫をちゃんと屋内で飼うか、そうでなければ避妊手術をするべきだ、と言いに行った、と聞いた。

トキさんは「そうはいっても、これは私の物じゃないからねえ…」と笑っていた。

新興住宅の婦人は、保護活動で地域では結構有名な人だったらしく、

野良猫の保護避妊手術のカンパなどの活動の話が町内で何度かされた。

その話は、1,2年くらいでぷっつり聞かなくなった。

それと同時に、ちらほらと見た野良猫の姿も、消えた。

トキさんの家に集っていた野良猫の姿も、例外ではなかった。

気が付いたら、トキさんの側にはメメさんだけが残っていた。

隣の車の下からトキさんを見ていたメメさんは、トキさんの座る縁側で眠るまでになっていた。

メメさんは相変わらず片目が半開きだったけれど、もう目やにはない、綺麗な顔だった。

トキさんの息子さんは、良く子供を連れて来ていた。

トキさんの孫に当たる娘さんで、よくトキさんはお孫さんは頭が良いから、大学に受かった、と嬉しそうに話していた。

もうお孫さんはずっと前に結婚している年齢なのに、トキさんにとって孫が大学まで行った事は今でも一大事件のようだ。

お孫さんも、トキさんの家に集まる猫が好きで、良く縁側でなでていた。

けれど、メメさんはお孫さんがくると、隣の車の下にそっと逃げてしまっていた。

そのお孫さんが子供トキさんにしてみるとひ孫に当たる子供

生めないと言ったのよ、とトキさんが話してくれた。

子供なんて、生むが易し、っていうのにねぇ」とトキさんは寂しそうに言った。

お孫さんは仕事の関係で、両親と離れた土地に暮らしている。

子供を生んでしまうと今の仕事に戻れなくなるし、

第一預かってくれる所もないから、無理だ、という理由らしい。

「昔は子供なんて、誰彼が見ていてくれたのにね。」

自分がお孫さんの力になれないのが残念なようにつぶやいた。

「でも、最近ね、公園から子供の声が聞こえないのよ。

昔は、一日中賑やかだったのにね」

メメさんが居た公園から、遊具が撤去されたのはもう随分前の話だった。

最初は遊具から落ちた子供が怪我をしたとかで、昔からあった幾つかがなくなり、

次には子供の声がうるさいと苦情が出て、残った遊具も休憩所みたいな物に変わってしまった。

今では、お年寄りや犬の散歩の人が寄るくらいで子供は滅多にいない。

時折居ても、何やらゲームをしているらしく、うんともすんとも言わず、数人で俯いている。

「猫も随分減ったしね…猫だって、昔は誰彼が面倒見てたのにね」

トキさんの言葉に、メメさんはしらんぷりをしていたが、片耳だけが少し動いた。

半年前、メメさんの姿がなくなり、縁側にトキさんしか居なくなった時、

トキさんは「メメさんはもう来ないよ」と言った。

不思議確信に満ちた、静かな言い方だった。

その時に、私たちがメメさんを最初「おメメちゃん」と呼んでいた事を言うと、

トキさんはそれを知らなかったのだと言った。

メメ」と名づけたのは、お孫さんで、灰色の模様がカタカナの「メ」に見えるからだったらしい。

そして、最近めっきり足腰が弱った自分を心配して、息子さんが老人施設のパンフレットを持ってきたのだと言った。

「綺麗な所でしょ。ホテルみたい」

トキさんは、そのパンフレットを見て笑っていた。

トキさんの家が売りに出されたのは、メメさんが見つかってから三ヵ月後だった。

今は古い小さな平屋に、まだ新しい物置だけが不似合いに残っている。

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