2010-02-24

http://blog.livedoor.jp/ikiradio/archives/51423166.html

トラックバックってこれで合ってるのかな。よく分からないな。

確かに仕事生き甲斐に出来れば、あるいは生き甲斐仕事になれば、幸せだろう。

それでもそんな人生は肯定出来ない。

目指すべきは、素晴らしい配偶者可愛い子供に囲まれた人生だ。

家は2階建ての一軒家がいい。マンション育ちなので家の中に階段があるというのが夢なのである。そんなわけで自室は2階がいいのではあるがそれは子供に譲るとする。そこまで広い家がある必要はないが、気が向いたら何かが出来る程度の広さの庭があるといい。

ついでに犬か猫か、ペットがいればそれも良い……のだろうが、あいにく私自身は動物が駄目なのでペットに関しては保留とする。子供が欲しがったら検討をしよう。その時のために、我が子にはペットをちゃんと世話し可愛がってくれるようなしっかりした優しい子に育てる必要がある。

子供独立家族を持つ頃には退職しているとして、そうしたらたまに孫の顔を見せてもらいながらゆっくりと余生を楽しんで、年を重ねて病に倒れた後、最期の時に駆けつけてくれた親族が涙を流してくれれば幸いだ。

生き甲斐「家族」であるべきで、間違っても「仕事」ではない。

私の父親はまさに仕事一筋の人間で、私が幼い頃はほとんど家にいなかったと記憶している。仕事で成功し、家族を養っているという自負があったのだろう。たまに家にいるときは「俺は普段仕事をしてお前らを食わせているんだ」と言わんばかりの態度で1日中ごろごろと家の中を転がっていた。しかしその姿には威厳などというものはカケラほども見えず、子供自分の意に沿わない行動を取った場合は怒鳴り散らすその姿は、子供の目から見ればほんの少したりとも尊敬に値しないものであった。

父の定年退職が近づく今、父は「今まで養ってきたのだから退職したらお前たちが面倒を見てくれるだろう」と以前よりも頻繁に口にする様になった、が私含めて姉弟全員そのようなことは恐らく考えていない。

「母は私たちの帰りが遅くなっても、文句を言いながら世話をしてくれた。だから母に何かがあったときは面倒を見よう。けれど父は"金を稼いでいればそれでいい"と言ったとおりの振る舞いを見せた。だから父に何かあっても面倒は見たくない。施設は探してあげても構わない、様子見はあまり行けないと思うが」。

父は仕事を愛していた。それは確信を持って言える。そしてその仕事を愛したある男の子である私は、人生の7割を「生き甲斐」費やした父を哀れに思う。仕事上の人間関係があっても共に飲みに生きたいと思える「友人」と呼べる人間は数人しかおらず、「仕事」に関わるもの以外の趣味らしい趣味があるわけでもなく(物事に興味がないわけではないが、とにかく続かない)、そして自分の思うがままに生きていた結果として子からは見限られた。父は仕事以外で人間関係を構築する術を知らず、仕事以外の趣味を作る方法を知らず、そして仕事という「自分生き甲斐」に邁進した結果は家族との距離である。

ちなみに父の名誉のために補足すると、父は決して悪い人間ではない。頭は固いし物事をとにかく批判がちに見る傾向はあるものの、常識も知識もあると思う(特に歴史系)。ただ、ひたすらまでに「仕事以外の生き方を知らない」のである。

そして私はそう思いながら、それでも父の老後を世話したいとは思えない。

「今まで好きなように生きてきたのならこれからも好きなように生きれば?」「老後で趣味がなくなった途端、手のひら返した様にすり寄られても困る」程度の感想しか出てこない。

先に言及したエントリの主が何を目指して仕事生き甲斐にすべきかと思ったのかは知らないが、私は「仕事一筋なんてやめておけ」と言う。仕事一筋の人間が、仕事を辞めた途端に豊かな老後を送れると思っているのであればそれは幻想だ。むしろ22歳から60歳まで打ち込んできたものが急になくなって、そこからあっさり新しい生き甲斐を見つけられるのだとしたら、それは随分安い22歳から60歳の人生でしたねと言わざるを得ない。

最後に無条件で味方になってくれ得るのは家族くらいしかおらず(優れたスキルは確かにあなたを裏切らない味方だろう、けれどあなたが不幸な事故とかで動けなくなった瞬間スキルなんてものは何の役にも立たないわけで)、そして仕事に打ち込んで家族をないがしろにしただけ、家族はあなたから離れていく。「ワークライフバランスなど生温い、仕事に打ち込め」……大いに結構。ただしあなたの仕事を支えるために、あなたの家族は少なからずの苦労を背負い込んでいることを忘れるべきではないでしょう。「俺の家族は友人とのんきに遊び歩いている」と言うのであれば、「家の生活に満足してれば家族をないがしろにしてまで遊びに行かないんじゃないかな」と返します。

何処に幸せを見出すかは人それぞれなので声高に叫ぶべきことでもないのでしょうが、年老いて働けなくなった後、養護施設に放り込まれて孤独に死にたくないのならば、「死ぬほど頑張れ」なんて死んでも言わない方が良いと思うわけです。

だって自分の子がそうなったら嫌だもの。

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