30ちょっとの人生。
振り返ってみれば
父親に振り回されっぱなしの人生だったような気がしてきた。
そりゃ1人で大きくなったとは思わない。
幸いDVだとかアル中だとかはなかった。
でも思い返すと子供との会話もほとんどなく、、、いや会話もしようともせず
本人はこちらが気付いていないと思っているだろうが、
机の中身を空けてコミュニケーションを取った気分になって
『この子はこうだろう』な雰囲気で結論だけ言って自分の中で終了する人。
思い返すと妄想いや思い込みの激しい人であり続けている。
かろうじて会話をしていても遮断するかのように終了してきていた。
やりたいことや興味を持っていたこともたくさんあった。
けれど、必ず母親からの駄目だしが入ってきた。
子供と話すことの出来ない父親に何かを言われての駄目だしだったんだろう。
(もしくは駄目だしされる前の制御とか)
こんなことを気にせずにやるべきことをやりたいことをやってくればよかった。
こんな環境に影響を受けて色んなことを知らず知らずのうちに諦めてきた気がする。
で、今は孤独まっしぐら。正規雇用に就けているとはいえこれだっていつなんとき、、、
年を重ね弱気の虫がでてきているのはよくわかる。
それはようやく自分の本音のが出てきているってことでもあると思う。
近年、その様子を見ていて上で述べたような人であり続けていたなと思うし、
DV・アル中での家族の押し付け=自分が一番であり続ける=自分の自信の無さ=存在意義を感じられない
ではなく、
自分が一番であり続けるために嫁子供への駄目出しを続けてきたんだなと、、、(会話の遮断、、、)
真面目で不器用な人である。起用に立ち回る人間に比べればよっぽど人間らしいだろう。
けれど、自分の自信の無さ(存在意義の希薄さ)を自分以外の人間いや身内に押し付けるなんてことはしてはならないことだと思う。
『いい大人が自分の責任であるべきことを親の責任にするのはおかしい』
と世間は言う。たしかにそのとおりだろう。その通りだと思う。
でも、
『親=絶対的に正しい』
ものなんだろうかと、、、
こんなことを自分の父親に対して感じるなんて最低だ。自分が一番最低で惨めな人間かもしれない。
支離滅裂な文章。最近考えていることを言葉にして吐き出してみた。
まとまったら改めて書いてみよう。