数年ぶりに高校時代の友人からメール。食事会のお誘いだった。
日程は年明け。年末年始の帰省をする余裕さえないので、今回は欠席の返事を出した。
ついでに近況を尋ねてみる。
彼女は相変わらずで、ロリータの認知度を高める活動を都内某所で行っているらしい。なんだかひどく安心した。
私も含め、社会に適合するためにある程度の擦り合わせをしながら生きているので、
携帯メール一つとっても野生そのままだった高校時代とは文面等々がまったく異なる。
顕著なのは絵文字で、高校時代はいっさい使わなかったはずの友人からゴテゴテのデコメが来たときは、
ああ彼女も大多数に埋もれてしまったのだなあ、と寂しく思ったものだ。
そういう私も昔は絵文字に嫌悪感を示していた口なのだが、ここ2年で擬態を身につけた。
なので、最初はわりとにぎやかに絵文字を散らした「スイーツ(笑)」みたいなメールを送って、相手の反応にあわせる方法をとっている。
たまに …なんだかなあ とむなしく思ったりもする。
これがおとなになるということなのかしら。
特に落ちはないのだけど、表面をとりつくろうのが上手な女性と、自然体で生きている女性とがいるっていう話。
できれば後者でありたいのだけれど、なかなかそうもいかないので、私は中間をふらふらしている。
擬態(一般人のようにふるまうこと)もせずに丸裸で生活していると「変な子」「不思議ちゃん」「オタク」などと呼ばれる。
長いものに巻かれたがる日本人っていうけど、オタク人口は一般ピーポーよりそんなに劣るのだろうか?
むしろオタクの方が大多数になれば、今蔑んでいるひとたちはどうなるんだろう。
とかそんな詮無いことを考えた。