かつてから私の父は家の心配することなく、行きたい大学へ行けと言った。
しかしこの不況でしかも私の父の仕事は専門的であるので顧客は減っていく。
そこで、大阪で大学生活をしている兄の仕送りを減らしたり奨学金を貰おうとしている。
兄は不満を抱きながらも、それを承諾している。
もちろん、これは人に胸を張って言えることではない。
すこし浅はかな目的だと思う。
だけどそれだけではない。
法学部へ行って、犯罪者の更正だとかそういうことを学びたいし。
けれども私は後ろめたさから私は東京へ上京するのを諦めて、現在地の名古屋(正確には愛知県内)の大学へ進路を変えようと決断した。
そのことを言うと、母はこう言った。
「何でそういうことを言うんだ。あんたがそういって、後でまたまた後悔したって嘆いてを愚痴を聞かなければならないのか」
父にも同じようなことを言われた。
私は理解できなかった。
もし、私の望み通りに大学へ行けたとしても、後ろめたさは存在するのではないだろうかと。
しかし、よくよく考えてみるとこれは一つの私のエゴによる言動だと気づいた。
私は自分の後ろめたさを親にぶつけているのではないかと。