死とは何だろう。
それは恐らく無である。
例えば脳髄が破壊された人間は死んでいるが、彼はその時何かを感覚してはいないだろう。
このような点において、死は無感覚であると言い切ることができる。
で、私が言いたいのはこうだ。
もし貴方が飛び降り自殺を図ったとする。その上で、きっちりとお亡くなりになったとする。
そしてその死体がだ、仮に保存されるとしてだ。(何故そうなるのかとか聞いちゃいけない、話が途切れることになる)
そして貴方はその医療によって蘇生されるとする。いや、そうして下さい。
このことに及んで、貴方は恐らく、死んでいる間のことを覚えてはいないだろう。その理由は上記の通りだ。
そして、ここからが重要だ。
蘇生直後の貴方にとっては、地面に接触した次の瞬間に再び意識が表出したかのような、そんな感覚を覚えることになるのではないだろうか
(あるいは、蘇生後のしばしの昏睡状態を経験するとすれば、意識の表出は緩やかなものになるかもしれないが)。
結局のところ私が何を言いたいかといえば、死は安息などではなく、無なのだという、その一点に尽きる。
つまり死とは時間の欠落に過ぎないと、そう言えるのではないだろうか。
そしてもし仮にそうなのだとしたら、貴方が全てを清算する為に地面に激突したと思ったその直後、病院の天井を見つめていた、などという事態になりかねないのである。