こないだ中年男性が飲み物とお菓子を買いに来て、ぼくはそのレジを打った。
風貌、立ち振る舞いからぼくは「アッ知障だ!!」と察した。
こういうとき、努めて健常者と同じように扱おうという気持ちが働く。たとえば電車に知障が現れると、どんな奇声を発しても、奇行を働いても、皆まるでそれに気づいていないかの様に、そこに知障がいないかの様に装うでしょ?そういう心理。正面切って、素直に侮辱するのは中高生くらいじゃないか。
余談だが、ぼくの出身中学では身体障害者を指してシンタイと呼び、知的障害者をチテキと呼んだ。養護学級にいる生徒等をこの言葉で差別していたわけ。
障害者の害の字がイカンので言い換えよう(ひらがなにしよう)という考え方があるけど、このように、中学生は身体や知的という言葉をも差別語にする事ができる。差別をする心をどうにかしない限り、いくら言葉を新しくしても、それが汚れる度に使い捨てる事の繰り返しにしかならないんじゃいかしら。
それはともかく、ぼくが金額を伝えると、そこは知障だけあって手間取りながらも金を支払った。ぼくは釣りとレシートを渡し「ホッ」としかけたところで、質問をされた。
「あのスイマセン」
「はい」
「僕って邪魔ですか」
「いえ大丈夫です」
「僕って邪魔ですか」
「大丈夫です」
応答と裏腹に、ぼくは全然大丈夫ではない。「大丈夫」の一点張りである事がその証左だ。ぼくは大変うろたえた。なんて事を訊くんだ…。
ああ邪魔だよ。キミと接することでぼくは、自らの差別する心と相対するを迫られるから、邪魔なんだよ。それを全力で避けるために、ぼくはキミを健常者として扱ったのに、その質問ですべてぶちこわしだ。二重の意味でキミは邪魔だ。
知障は、そういうふうにぼくから無視をされた事に気づいていたのだ。日ごろ疎んじられている事に気づいているのだ。知障は去り際、他の客にも同じ質問をし、やはり同じ様な返答を貰っていた。早急に会話を切り上げるための、無難で、簡潔な返答を。
知っていて訊く。二回訊く。他の客にも訊く。ぼくには知障の行動が、健常者への復讐に見えた。
知障の背中を見送ってから、ぼくは同僚と苦笑いをした。
「アイツは頭がおかしいな」
「なんでそんな事訊くの!?て思った」
「金出すの遅いし」
「まあ遅くてもいいけど普通に買い物して帰ればいいじゃん。なんで訊くんだよ」
「しかも二回訊いたし」
「ええー、何これ無限ループ?って思った。しかも帰るとき他の客…いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませー」
そうやって差別心は育っていくのだね
コンビニバイトもかなりの被差別階級だよな…。 とりあえず知障の家族を持つ人間としては、差別とかどうでもいいから金くれって感じ。
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障害とはいっても、主に知的障害の話です。 多動、自閉、ダウン等ありますが勿論軽度から重度まであり、一概に言えない分野でもあるとお断りを入れておきます。 主に自閉の場合です...