オタクでない立場から、『「自称」オタクの皆さんが秋葉原に集まり…』というようなマスコミ的な用法の話のつもりだった。
おれはオタクを自称してるけど、とか、自称オタクの私ですが、というような用法は考えていなかった。
しかし、卑下の成分が入らないで、自ら名乗っている、自ら認めている、という意味を表すときの言葉は
「自認する」か「自任する」だと思う。日本語の使い分けとしては、自称というのは、自称でしかない、という意味合いが本来は入る。
卑下というか、自分はまだまだですよ、的に、自ら使う自称という用法があるのは分かるけれど、
そういう感じ方をするひとたちにとって、「オタク」というのは、称号みたいなもので、自ら本来名乗るものではない、
多分、私が違和感を感じるのは、オタクというのは、単にそのひとの趣味のジャンルという受け取り方をしてるから、
自称も何もないよ、ということなんだと思う。
しかし、それが麻生さんのような用法とどう繋がるかは、よくわからん。
麻生さんの秋葉原の演説から思っていたのだが、マスコミとか上の世代が集合的に呼ぶとき、 割とオタクに「自称」とつけがちなのは何故なんだろう。 オタクというのは本来他称...
オタクでない立場から、『「自称」オタクの皆さんが秋葉原に集まり…』というようなマスコミ的な用法の話のつもりだった。 おれはオタクを自称してるけど、とか、自称オタクの...
ふつう、自称とわざわざつけるのは、本当は違うとか、他人は認めないかもしれないというときだろう。 あるいは、蔑称だからという意識があってのいいわけで「自称」なのか...
最近は「オカマ」とかも自称してる人を除いては言ってはいけないらしいから、「この人は自称してるからOKなんですよ」っていう注意書きなんじゃないかなあ。