この年になると(笑)
虚栄心を自分で満たすことの寂しさにきづいてしまうので
一段外側のとこを飾っておしまいにするような気がする。
これも表現がむずかしいんだけど好意をやりとりすることの難しさかなあ・・
ネットでは情報という形で小さな(あるいは大きな)好意が始終行き来していて(スターでも人力でも、単なる一言でも情報だよね)交流は常にある。
でもネットで自分をいくら好きになってもらってもまだ人肌寂しい距離感なのね。id:****が好かれてもここにいるヒトは寂しいままだ。
本当の自分なんてものは「ない」でしょ、化粧した自分をみて好意をもってもらうのと同様、情報も飾れる(むしろ飾るのがマナー)なんだもの。
結局、ネットで「本当の自分」を好きになってもらうのに一番ちかいものは、本当に自分が好きなモノを他人も好きだといってくれること、のような気がする。
それでかどうか、アニメキャラとか芸能人とか、なんでもいいんだけど、何かが死ぬほど好きだといっている人が私は好きだし、自分の場合も自分の死にそうになるほど好きなアレを、好きだといってくれる人ともっと仲良くなりたいな。そして好きなものの話をしたい。
(まあオタクの場合、みんなが好きだから自分も好きだと表明するような好きは好きにカウントしないとか面倒くさいみたいだけど私はきにしない)
オタクをきもいという言説もまあなくはないとおもうんだが、それって好意の表し方の違いにすぎないよね。
「普通」の純愛が生活の一部になったらそれ以上なにがあるんだろう?
お姫様は王子様と結婚して一生幸せにくらしたのですが、その幸せにはどんな感情のやりとりがあって幸せだと定義したのだろう。
まさか夜の生活だけを指してるんじゃないよねwwwww粘膜の接触乙wwwと思うわけよ。