誰かが抜けてもその都度社会や組織は形を変えて、千人や二千人の突然の死があっても止まらずに動き続けてしまう。組織そのものには人間が殉じるほどの価値はなく、殉じなければ起こってしまう変化、起こらない変化のためにこそ人は自分の中からの持ち出しで何かの行動をしようとするのだろう。たまに勘違いして自動的になりさえすれば良いと思っている人もいるようだけれど、なにがしかの信念がなければ何の美しさも存在するわけがない。それは殉死ではなく悲しい犬死と言うものだ。
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