2009-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20090915182600

コメントのなかに「気にするな」とか「女子力競争から降りればいい」みたいな言葉があったのですが、女子力を上げる方向にしろ、そこから降りるにしろ、自分の中の女性性を自覚して、それに無理に適応しようとしたり、抗おうとしたりする時点で、本当はどちらも間違いだし、負けなんです。自分自分のままでいい。女としてどうだ、なんてことは、できれば自分価値観の中から消えたほうがいい。女であることと自分らしさが一致する人はいいけど、それが一致しない時点で、どんな形であれ女は業を背負うんです。

いいたいことが分かるようで分からない。

女性性を自覚して、それに抗おうとするのは間違いだと、自分自分のままでいい、というなら別にそう生きればいいだけではないの?

女性性を自覚って具体的にどういうこと?女であることと自分らしさが一致するとかしないってどういうことなの??

それは例えば、自分女性であることに気付いたけど、世間一般が言うようないわゆる「女性が好みそうなもの」を好きでない、という自分らしさをも発見してしまって、折り合いがつかないってことなの?

でもそれだったら「女性ですけど、べつにそれ好きじゃありません。」といえばいいだけの話じゃね?いや、勿論、それによって「えー、なんで。女の子なのに」とかキモい発言かます奴はいるだろうけど……それはまた別の話じゃない?社会がまだついてこれてない、未成熟だというだけで、それは自分自身の問題ではない。

どっちかというと、だから「自分の中の業」とか「折り合いがつかない」じゃなくて、単に他者の差別的目線に困っているという話なんじゃないのかと。自分の問題じゃなくてそういうろくでもない他者がいるっていう問題じゃないの?そんでもってそれは女だけの話じゃなく男でもそうだし、同性愛の問題などでもそうだし、顔面至上主義や恋愛至上主義の問題もあるし

無理矢理自分自身の問題にしてるからごちゃごちゃするんじゃないかな?もっと問題はシンプルな気がする。要するに前エントリを見たけど、女子力を「あげちゃう」のは、世間の「男はこういうもの、女はこういうもの」っていう差別的目線を内面化しちゃっててそこから逃れられないって話でしょ。でも自分でもそれがおかしい、生き辛いってことは気付いてて、その怒りを上手く発散できていないという印象を受けたんだが……

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