ニヒリズムと一口に言ってもいろいろあるが、私が想定しているのは
虚無主義というよりはむしろ、懐疑主義なのかもしれない。
であるとしたら、超克するべきものではないのかとも思う。
人間として生きて、日々考えて暮らすには、ツールとしての懐疑は使うべきだから。
だが、懐疑主義をつきつめると、やはり虚無主義に落ち着いてしまうのでは?
私ばかだから、何度否定論者の説明を聞いてもこの堂々巡りに陥ってしまう。
あと、wikiに載っているような否定論は、単なる根性論にみえてしまって腑に落ちないんだよなぁ。
いや、そんなこといっちゃあ、ニーチェも根性論か。うーん。
ニヒリズムを克服するためにはどうしたらいいか、 誰か教えてください。 ニヒリズムに矛盾があることも、さきがないこともわかっているが、 直観としてニヒリズムを否定できないの...
矛盾点 ニヒリズムの「真理が存在しない」とする信念に対する批判としては、もし"真理が存在しない"が正しいとすれば、"真理が存在しない"という主張自体が"真理"になり、自己矛...
ニヒリズムと一口に言ってもいろいろあるが、私が想定しているのは 虚無主義というよりはむしろ、懐疑主義なのかもしれない。 であるとしたら、超克するべきものではないのかとも思...
克服する必要はない。 ニヒリズムといってもいろいろな考え方があるけど、俺は、 「神はいない」→「だから、自分自身の意志で生きろ!」 ってことだと思っている。 お空の上のお偉...
元増田です。 神(『真理』と置き換えてもよい)はいない、ということすら信じられない場合は? 神はいるかもしれない、いないかもしれないという場所で、 いつまでも判断がつかずに立...