2009-09-13

人に対する評価がいちいち過剰な人にはなりたくない

何か過ちを犯した人がいる。

過ちを犯した人が反省すべきなのは当然。人に被害を及ぼしてしまった場合は、きちんと謝罪もしなければならない。批判も制裁のひとつとして、甘んじて受けねばならないだろう。

でも、その過ちについて、誰でも見ることのできるブログや公的な場で、“過剰に”批判する人って何なのだろう。同調を得たいのだろうか?

“過ち”は、その人の長い人生の中で切り取られた、ある一部分に過ぎないかもしれない。その人だって、そんなことはしたくなかったかもしれないし、自分の間違いについて自覚していたかもしれない。ただ、自分の感情をうまくコントロールできなかったり、もしくは自分では正しいと思ってやっていたつもりが、結果的に間違ったことになってしまう、ということもありうるだろう。

特に、10代から二十代前半にかけての若いうちは、本当によくあることだと思う。若者を相手にする年長者で、彼らに対して安易に“過剰な批判”をする人がいたら、その人は若者を相手にすることをやめたほうがいい。彼らの経験不足につけこんで“過剰な批判”をするなんて、彼らのその後の人生にどれだけ暗い影を落としてしまうことか。

それは、職人が愛を持って弟子を鍛えるのとは全然違う。彼らは、自分弟子欠点を“世間に向かってさらけ出し”たり絶対にしない。

人の過ちをその部分だけ切り取って、それを文章に残して、人の目につくようにさらして、その人の欠点を“周りの人にさらけ出して”、一体何がしたいのか。本当に相手に欠点改善してほしいなら、本人にだけ直接、その手厳しい“過剰な”批判をすればいいではないか。

批判が過剰になる人の批判には、だから、“相手のためにあえて厳しいことを言う”という感じを受けない。相手のための批判でなく、何か他の目的のために批判しているように思えてならない。

相手のためを思ってあえて厳しいことを言うのでなく、相手を叩きのめし、そのことによって何か他の事をもくろんでいるとしか思えない。

彼らは結局、自分パフォーマンスのために批判するのかも知れない。批判する自分に酔っている。相手の過ちを、“自分の正しさ”の主張にすり替えている。批判する相手のことを、ネタだとしか思っていない。それでいて、自分は人のためを思って厳しいことを言っていると思っているのだから手におえない。

もちろん、過ちを犯さなければ、批判を受けることもない。

いくらその過ちが“切り取られた一部”だとしても、その一部分しか見ていない人にとっては、それがその人の評価の全てになってしまうのだろう。だから、何かひとつでもしくじると怖い。誰もがその切り取った部分だけで全ての判断を下してしまうかもしれないから。

一事が万事。もしも、過ちの反省を生かして改善できなかったら、一生そう言われても仕方がない。

しかし、人間だったら誰しも、一度は“過ち”を犯したことはあるのではないだろうか。少なくとも、私が出会った人のなかには、“完全無欠”の人なんていない。私には、自分で自覚しているだけでも数々の“過ち”や後悔がある。

私は、自分の“過ち”を正当化するためにこんなことを書いているのだろうか。いや、違う。批判自体は悪くないのだ。“過ち”は、他人からの批判も含めての“過ち”だ。

私が違和感を覚えてしまうのは、批判が過剰な人なのだ。

ただ腹が立つからといって、感情的に全てを断じてしまうのは、酷ではないか。特に、自分が相手のことを良く知らない場合、“これはこの人の切り取られた一部かもしれない”という想像力を働かせることが大事ではないだろうか。

人のことを過剰に批判できる人は、自分をよっぽど“完全無欠”だと勘違いしている人なのだろう。もしくは、過剰に批判することで何か他の事をもくろんでいるのか。

それと同じに、すごくおおげさに褒める人の“賞賛の内容”というのも信用できない。その褒められている部分もまた、“切り取られた一部”かもしれないから。

私には経験があるのだが、“過剰に”自分を評価する相手とは、うまく関係が築けない場合がないだろうか?そう思われていることを誇りに、そういう自分を演じようとして、結局は率直に自分の心が開けなくなったことがある人はいないだろうか?(これは優等生タイプに多いかもしれない)

自分の、だめな部分を素直に見せられる仲間とこそ、長続きしたりするものではないだろうか。本当に苦しいときに、“苦しい”といって助けを求めることのできる相手にこそ、本物の友情を感じることができるかもしれない。だからこそ、自分がまだ“自分を偽る”ことを知らなかった幼い頃からの友人とは、率直に話ができたりする。もちろん、傷の舐めあいでは決してない。

ただ、相手にかっこいいところばかり見せようとする友情は、疲れるだけだ。要らぬ嫉妬が発生したりする。恋愛も同じだ。

閑話休題

ブログ等に、誰かに対する絶賛のコメントを載せた場合。こちらに関しては、内容がポジティブなだけに、多少眉唾かな?と思っても楽しく読める。

んー、結局は、ネガティブな内容を書く場合には十分に注意が必要と言うことなのか?分かりません。

振り子は、一つの方向に振れると反対にも同じだけ振れる。

ぶれが大きい人の評価は、どこかしらこちらを不安にさせる。

※これは、ある程度多数の人が読んでいるブログや人前のスピーチなど(影響力のあるような場)で、その場にいる人が共通して知っている(時には直接面識がある)ような人に対しての、“過剰な”批判をする人について思ったことです。

  • 中国人のケンカみたいなもんじゃないかな? 彼らのケンカって相手を罵倒しているようで、本当はオーディエンスに対して自分が正しいってアピールしてる。 そしてオーディエンスから...

  • ただ、相手にかっこいいところばかり見せようとする友情は、疲れるだけだ。要らぬ嫉妬が発生したりする。恋愛も同じだ。 おっしゃるとおり だが恋愛に関しては好きだから言えな...

  • 納得した。 でも具体的にはどういうこと? 過ちってどの程度?

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