2009-07-11

ふと俺が死んだらどうなるか想像してみた

恐らく誰も悲しまないだろう。家族も。

俺の家庭は日常的に「死ね」などという罵声が飛び交う下品な空間だ。

みな、「あんな奴死んだって構わない」そんな目つきをしている。

そんな中で誰が俺の死を悲しむというのか?寧ろ死んで喜ばれるような人間ではないのだろうか俺は。

俺もこんな連中が死んだって人間が死亡したという悲しみと同時に障壁が無くなったからと嬉しがる感情も抱くしな。

不幸だ。もっとまともな家庭に生まれたかった。

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次の社会構造学校

死に方にもよるが、俺が死んでもどうにも思わないような奴らばかりだ。何故なら、俺はぼっちだから。

俺なら、人の死なら執行された死刑囚だろうがテロに巻き込まれた人間だろうが無条件で悲しむがここ日本にそういう慈悲深い連中が多いかと言うとそうでもない。

やる気のない、どうとも思わない、センスのない、平和ボケした連中ばかり。

はっきり行ってこんな脆弱構造に対してこれ以上考察する内容はないよう。終了。

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結局なんだったのか。

残酷な死に方をしてマスコミに取り上げられてプロパガンダに影響された人間達に同情される方がひっそりと死ぬよりも余程幸せなのだと主観で思った。

なら俺はそういう死に方を望んでいるのか?必ずしもそういう推論にはならない。俺は死なない事を望んでいる。笑。

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