小説は描写が細かく書かれるのに対して、ssや携帯小説は行為のみしか書かれない。
なぜなのだろう?
小説は、読むと疲労してしまうが、だれでも同じように感動する。
vipのssや携帯小説は、一般の読者には理解不能だが、ssならば漫画やギャルゲーの、携帯小説ならばレディースコミックの文脈を知っている読者には感動を持って受け入れられる。
【なんとなく、考えたこと】
小説の分量の多さは、行為を読み取るべき文脈を規定している。
だから、文脈が読者層によって外から規定されているssや携帯小説には分量が不要になる。
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しかし、多くの読者は物語の描写ではなく、行為を読みたがるのも事実だ。
ではなく
という事実の方だ。
それに、小説を読み飛ばすとき、地の文を無視して会話だけを読んだ経験は誰にだってあるはずだ。
このとき読者は会話という行為だけ読み、そのときの声色がどうだったかという描写を読み飛ばしている。
本当に小説は、あんなに文章量が多くて良いのか?
スティーブン・キングはちょっと反省してもいいかもしれない、と思った釣りの夏、増田の夏