幼少期から、親の信じている宗教を自分も信じるように強制されてきた。
信徒が多く集う場所に月に数度引き連れられ、時には遠い本山にも連れていかれた。
それ自体は物凄く嫌がるほどのことではなかった。休みが無駄に食いつぶされることを除けば普通に暮らすことができた。
しかし、社会人になってもいまだに慣れないことがある。坊さんたちの「お話」を聞いた後の信徒たちの「お礼」タイムだ。
とにかく「わたしは愚か者でした!」「ご恩に背いてきました!」とひたすら自己否定しなければならない。その上で「お教えを賜って気づきました!これからは○○していきます!ありがとうございました!」こればっか。泣いていればなお良い。女性なんかもう号泣しまくり。終わったらケロっとしてる。
この流れを下手に外すと不信心とみなされ、最悪の場合は一週間ほど寺に閉じ込められて洗脳同然の暮らしを強要される。
こうして自主的に「お仕えする人」が増えていくのだな、と納得する。
実にアホくさいと思いつつも、親との関係をつかず離れず良好に続けるには有用なので宗教にはつきあい続けている。泣くのは無理だがテンプレ通りに礼も言うし困らない程度に金も出す。