なんにしても「お前の思い通りにはさせない」ほど効果的な呪詛の言葉はない。なにしろ、生きている人間にとって思い通りにいかないと感じることはデフォルトなのだから、外れっこない。個人的には、誰かを呪ったり祟ったりできる存在などなく、相手に影響を与えられるなどというのは幻想だと考えている。ただ、掛かってしまう人、祟られてしまう人が一方的に存在しているだけだろうと解釈している。そして、全ての人間がその能力を持っているものだと考えている。存在しない物を存在するように感じ取る能力。そういう能力を介して世間を見れば、この世は、思い通りにいかないのが当たり前だと信じさせる要素に溢れている。「景気が悪い」という世の中の空気、相手の反応から読み取られる感情、理想と現実のギャップをいやでも認識させられる自分の人生、「○○しなければ、うまくいかない」という思い、相対的評価、誰も同じ場所に留まってはいられないという、自分の運命……
自分の場合、他の誰でもない自分自身が「お前の思い通りにはさせない」という言葉で自分を縛ってしまっていた。「○○でなければ、うまくいかない」「ほらみてごらん」「それじゃあ失敗するでしょ」「だからダメなんだよ」手を替え品を替え、いろんな人の口を介して、さまざまなバリエーションで、その呪いはいつでも自分の隙を狙っていた。今でもそれは変わらないし、自分はそれに惑わされずにいられない。けれど、一つだけ気付いたことがある。それは何の報いでもない、誰の思惑でもない、ただ自分が自分にかけていた呪いの言葉なんだと。絶え間なく自分の隙を窺うことができて、いろんな言い方をしているのに的確にこっちの意志を削ぐような意図を伝えられる奴。全く接点の見られない多くの人を介しているのに、どうして全ての言葉が自分に届けられるのか。考えてみれば簡単なことで、そんなことができるやつは自分自身の他にいなかった。
その呪詛から逃れる術を見いだすことができたのは、単に幸運だったからだと思う。「○○すれば、うまくいく」「こうしてみたら、思い通りに動くかもしれない」そう言い続けてくれる人を周りにたくさん持つことができた。そして、もう一つ。自分もまた、そのように言葉をかけ続ける必要のある相手に出会ってしまった。自分と同じように「思い通りにはいかない」という言葉に縛られて身動きがとれなくなってしまっている人に。躊躇っている間もなく、「思い通りにする」と伝え続けなければならないし、自分が態度で示してみるしかないと感じた。そうして初めて、自分の口から「大丈夫、なんとかする」と気持ちを籠めて吐き出すことができた。
「お前の思い通りにはさせない」などと言ってしまうのは、発言者こそが自分にその呪いをかけていて、それが他人に通用しないことに脅えている証であって、だからこそ物理的な接触で言葉の力を具現化させようと手を出さずにはいられない。その恐怖は本能的な防衛本能を通じて、相手が呪詛をはじく力(多分それは論理的に考える力)を封じ込めてしまう。でも、その呪詛から自分を解き放つ能力を持ち合わせていなければ、そもそも言葉に縛られる能力が発揮されることはないのだから、他人の言葉に捕われてしまうこともない。ということは、言葉に縛られてしまった人は、自らの言葉で解き放つことができるということ。誰かに「お前の思い通りにはさせない」という言葉を投げかけられて縛られてしまったときは、同じ数だけ、いやそれ以上の数だけ「大丈夫、それでも何とかなる」と吐き出すことで、きっとその呪詛は解けてしまう。最初は口に出さなくても自分の脳に届くように、確かに自分の意思でそう発言したと実感させられれば効果は発揮されるに違いない。もともと言葉は誰かに情報を伝える為の道具でしかないはず。誰にも他人を縛る力などなくて、縛られていると思い込ませるところに言霊の力はある。
報いなんてあってもなくても、ベストを尽くす以上にやるべきことなどみつからない。ただ、どれだけ尽くしてもその先にまだまだできることが残ってしまう。だから、本当にベストを尽くすためには、タイムリミットの設定が必要不可欠。限られた時間の中でそれをやりきる為に知恵を絞って、切り捨てる部分をとことん切り捨てて、なにかしら形に仕上げてしまうことを「ベストを尽くす」と言うのだと思う。
他人の苦しみが理解できるほど自分は利口ではないし、アドバイスできるほどの知恵や教養もないし、人に語れるほどの苦しみをくぐり抜けてきた訳でもないので、コメントするのもためらわれたけれど、自分は自分の体験から考えたことを、ただここに記しておきたかった。自分で読み返しても支離滅裂な自分の言葉に、満足はしていないけれど、ベストは尽くした。これで誰かが救われるなどという傲慢な期待を抱いてはいないけれど、自分の力になる言葉がこの世にもっと溢れていて欲しいと願っている自分にとって必要だから、どんなに拙くても言葉にして人目に晒しておくことにした。そうしておくと、思いがけない場面で自分の言葉に励まされることがある。誰かの反応が力になることもある。自分の思いを誰かに届けるというアウトプットの効果は、今の自分を守るだけでなくて、未来の自分を守ることにも作用する。舌足らずで誰かを不愉快にするかもしれない。そのときには精一杯反省する。けど後悔はしない。
思い通りになっていると思ってるのかもしれないが それは私が操ってそう感じさせているのだ というのはどうだろうか。 http://anond.hatelabo.jp/20090331074804
やっと『お前の思い通りにはさせない・・・・』というセリフをお前に言わせる事ができたよwふははは。 これで俺は、どんな人間でも自分の思ったとおりに操る自信がついたよ(笑 あ...