私は、皆さんが入学するより3年も前、新学科を作ろうという最初から、この学科に関ってきました。
そして、この日を迎えるにあたっては、色々と複雑な思いが入り交じる部分もあります。
その多くは、皆さんには関係のないことかも知れませんが。
皆さんに対しては、まだ随分と約束が残っています。
そして、その約束自体をその通りに果たす機会は、もはや永遠に失われてしまいました。
「オレたち、プロトタイプなんでしょ」
率直に言いますが、その通りです。
皆さんと過ごした1年間を踏まえ、この4月からの授業内容には随分と改良が施されます。
次の年には、さらに熟れたものになるでしょう。
では皆さんが、それらの授業を受ける後輩たちと比べて、損をしているのか。
私はそのように思ってはいません。
自分自身が受けた教育、そして、この学科の前に、やはり立ち上げから5年間を過ごした
別の学科の卒業生たちとの関わりから、かなりの確信を持って言うのですが
1期生と2期生、3期生、あるいは10期生とを、単純にひとつの物差しで比較すること
実は、そのこと自体が、皆さんと後輩たちとの経験を分つ最大の要因です。
「熟れる」というのは、目的・目標とともに、その達成方法が収束していくこと、
そして同時に、それ以外の多様な側面が、多かれ少なかれ捨象されていくことです。
皆さんが受けた教育は、様々なバックグラウンドを持った先生たちが
多くの部分を共有しつつも、それぞれに異なった教育目標に向かって
荒削りながらも(敢えてこの言葉を使いますが)「値段以上の」ものを投入した結果です。
ただし、皆さんが受け取ったものが活きてくるには、皆さん自身のそれなりの素養と
そして、ある程度の時間が必要です。
「素養」については、海の物とも山の物ともつかない新学科を、敢えて選んで入学した
その選択ができた時点で、皆さん全員に十分に具わっていると言ってよいでしょう。
「ある程度の時間」…それが5年なのか10年なのか、あるいはもっとなのか
それは皆さん一人ひとりでも違うと思いますが、可能な限り見守り続けるのが
新学科の立ち上げに関わった自らの責任だと思っています。
こんなことを書き並べるのも、結局は「やり残した」感からの、
少しでもツケを返したい、という気持ちに他なりません。
既に何の期待も持たれていないならば、敢えて更に学校と関わることもないでしょう。
皆さんの側にも、取りそびれた「何か」があるという感覚がもしまだあれば
いつでも受け取りに来てくれたらと、そう願っています。