2009-03-24

1期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

私は、皆さんが入学するより3年も前、新学科を作ろうという最初から、この学科に関ってきました。

そして、この日を迎えるにあたっては、色々と複雑な思いが入り交じる部分もあります。

その多くは、皆さんには関係のないことかも知れませんが。

皆さんに対しては、まだ随分と約束が残っています。

そして、その約束自体をその通りに果たす機会は、もはや永遠に失われてしまいました。

「オレたち、プロトタイプなんでしょ」

率直に言いますが、その通りです。

皆さんと過ごした1年間を踏まえ、この4月からの授業内容には随分と改良が施されます。

次の年には、さらに熟れたものになるでしょう。

では皆さんが、それらの授業を受ける後輩たちと比べて、損をしているのか。

私はそのように思ってはいません。

自分自身が受けた教育、そして、この学科の前に、やはり立ち上げから5年間を過ごした

別の学科の卒業生たちとの関わりから、かなりの確信を持って言うのですが

1期生と2期生、3期生、あるいは10期生とを、単純にひとつの物差しで比較すること

実は、そのこと自体が、皆さんと後輩たちとの経験を分つ最大の要因です。

「熟れる」というのは、目的目標とともに、その達成方法が収束していくこと、

そして同時に、それ以外の多様な側面が、多かれ少なかれ捨象されていくことです。

皆さんが受けた教育は、様々なバックグラウンドを持った先生たちが

多くの部分を共有しつつも、それぞれに異なった教育目標に向かって

荒削りながらも(敢えてこの言葉を使いますが)「値段以上の」ものを投入した結果です。

ただし、皆さんが受け取ったものが活きてくるには、皆さん自身のそれなりの素養と

そして、ある程度の時間が必要です。

「素養」については、海の物とも山の物ともつかない新学科を、敢えて選んで入学した

その選択ができた時点で、皆さん全員に十分に具わっていると言ってよいでしょう。

「ある程度の時間」…それが5年なのか10年なのか、あるいはもっとなのか

それは皆さん一人ひとりでも違うと思いますが、可能な限り見守り続けるのが

新学科の立ち上げに関わった自らの責任だと思っています。

こんなことを書き並べるのも、結局は「やり残した」感からの、

少しでもツケを返したい、という気持ちに他なりません。

既に何の期待も持たれていないならば、敢えて更に学校と関わることもないでしょう。

皆さんの側にも、取りそびれた「何か」があるという感覚がもしまだあれば

いつでも受け取りに来てくれたらと、そう願っています。

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